デジタル大辞泉
「住吉具慶」の意味・読み・例文・類語
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すみよし‐ぐけい【住吉具慶】
- 江戸初期の大和絵画家。如慶の子。名は広澄。通称は内記。幕府の御用絵師となり、大和絵を江戸に広めた。画風は父よりも巧妙麗美で、写実的傾向がさらに強い。代表作に「洛中洛外図巻」「都鄙図巻」などがある。寛永八~宝永二年(一六三一‐一七〇五)
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住吉具慶
没年:宝永2.4.3(1705.4.25)
生年:寛永8(1631)
江戸前期を代表する,やまと絵系画家のひとり。如慶広通の長男として京都に生まれた。名は初め広純,のち広澄。通称は内記。別号に松岩があった。延宝2(1674)年5月17日妙法院尭恕法親王のもとで剃髪得度,法名を具慶とし,同年6月4日法橋に叙せられた。同6年飛鳥井雅章の孫娘が越前松平家へ輿入れするに際し「徒然草画帖」(東京国立博物館蔵)を制作。同7年父如慶が未完成に終わった「東照宮縁起絵」を完成させて江戸へ持参,その功により将軍家綱から褒美として200両を拝領。その際逗留先の寛永寺で「元三大師縁起絵」および「慈眼大師縁起絵」(ともに寛永寺蔵)を制作した。同8年禁裏の命により「年中行事絵」の模写を果たす。天和3(1683)年江戸に召し出され,狩野派の独占状態であった幕府の御用絵師となる。元禄4(1691)年奥医師並となり,狩野益信,北村季吟と共に法眼に叙せられた。京都廬山寺および寛永寺護国院に葬られた。代表作に上記のほか「都鄙図巻」(興福院蔵),「源氏物語絵巻」(個人蔵)などがある。<参考文献>大村西崖編『東洋美術大観』5巻
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住吉具慶 (すみよしぐけい)
生没年:1631-1705(寛永8-宝永2)
江戸初期の画家。住吉如慶の長男で,名は広澄,通称内記。1674年(延宝2)剃髪して具慶と号し,同年法橋に叙せられる。85年(貞享2)江戸幕府の奥絵師に任ぜられて江戸へ下り,住吉派興隆の基礎を築き,91年(元禄4)法眼に叙せられる。具慶の江戸移住によって,漢画的要素の強い江戸狩野派に対し,伝統的なやまと絵画派が江戸に定着した意義は大きい。代表作には《東照宮縁起絵巻》(如慶と合作),《洛中洛外図巻》などがある。
執筆者:安村 敏信
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住吉具慶【すみよしぐけい】
江戸初期の画家。住吉如慶の子で名は広澄。内記を称し,のち法名具慶を名のる。1685年江戸へ出て幕府の奥絵師となり,のち法眼に叙せられた。その子孫も代々内記を称して住吉派を形成,京都の土佐派と並んで大和絵の一派をなし幕府に仕えた。代表作《洛中洛外図巻》。
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住吉具慶
すみよしぐけい
[生]寛永8(1631)
[没]宝永2(1705).4.3. 江戸
江戸時代初期の住吉派の画家。如慶の長男で名は広澄。天和1 (1681) 年に京都から江戸に移住,翌年に江戸幕府の奥絵師となり,やまと絵を江戸に定着させ,住吉派を興隆。元禄4 (91) 年出家して具慶と号し,法眼に叙せられた。主要作品『洛中洛外図巻』 (東京国立博物館) ,『多武峰 (とうのみね) 縁起絵巻』 (談山神社) など。
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住吉具慶
すみよしぐけい
1631~1705.4.3
江戸前期の画家。如慶の長男。名は広澄(ひろずみ),通称内記。京都生れ。1674年(延宝2)法名を具慶とし,同年法橋(ほっきょう)となる。83年(天和3)江戸に招かれ幕府の御用絵師となる。2年後に奥祗候を許され,91年(元禄4)には奥医師並となり,法眼(ほうげん)に叙せられた。如慶の画風をよく守り,江戸での住吉派隆盛の基礎を築いた。代表作「東照宮縁起絵巻」(如慶と合作)・「洛中洛外図巻」。
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住吉具慶 すみよし-ぐけい
1631-1705 江戸時代前期の画家。
寛永8年生まれ。住吉如慶(じょけい)の長男。大和絵住吉派の興隆の基礎を父とともにきずいた。天和(てんな)3年江戸に移住し,幕府御用絵師をつとめた。元禄(げんろく)4年法眼(ほうげん)となる。宝永2年4月3日死去。75歳。京都出身。名は広純,広澄。通称は内記。作品に「洛中(らくちゅう)洛外図巻」「宇治拾遺物語絵巻」など。
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住吉具慶
すみよしぐけい
1631〜1705
江戸前期の画家
如慶の子。住吉派の2代目を継ぎ,大和絵風の精密な風俗描写を得意とした。大和絵系統の画家として初めて幕府の御用絵師となった。代表作に『洛中洛外図』など。
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