佐太神社(読み)サダジンジャ

デジタル大辞泉 「佐太神社」の意味・読み・例文・類語

さだ‐じんじゃ【佐太神社】

島根県松江市にある神社。主祭神は佐太大神例祭佐陀神能は有名。出雲国二の宮。佐陀大社。佐太大神社。

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精選版 日本国語大辞典 「佐太神社」の意味・読み・例文・類語

さだ‐じんじゃ【佐太神社】

  1. 島根県松江市鹿島町佐陀宮内にある神社。旧国幣小社。祭神は佐太大神、天照大神(あまてらすおおみかみ)、素盞嗚尊(すさのおのみこと)ほか。垂仁天皇五四年の創建と伝えられ、出雲大社と並ぶ古社として崇敬される。貞享年間(一六八四‐八八)藩主松平綱近が社殿を寄進。御座替神事の佐太神能は出雲神楽の源流といわれる。出雲国二の宮。佐陀大社。

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日本歴史地名大系 「佐太神社」の解説

佐太神社
さだじんじや

[現在地名]鹿島町佐陀宮内

佐陀さだ川の西方三笠みかさ山の麓にある。「出雲国風土記」の秋鹿あいか佐太御子さだのみこ社、「延喜式」神名帳の同郡さた神社が当社に比定される。また風土記の同郡比多ひた社・宇多貴うたき社は当社境内社とされ、島根・秋鹿の郡境の佐太橋は当社南方にあったとされる。宇多貴社は神名帳の秋鹿郡に宇多紀うたき神社とみえる。当社は貞観元年(八五九)七月一一日正五位下、同九年四月八日に正五位上、さらに同一三年一一月一〇日に従四位下に叙された(三代実録)。康治二年(一一四三)八月一九日に秋鹿郡恵積えつみ郷や島根郡西条生馬いくま(現松江市)などとともに一括して鳥羽上皇に寄進され、安楽寿あんらくじゆ(現京都市伏見区)の末社(佐陀庄)となった(「太政官牒案」安楽寿院文書)。古代から中世への転換に伴って当社の神主もかつての神宅氏から勝部氏に代わったと推定され、建保二年(一二一四)七月二五日には勝部四郎丸が「佐陀御領下司職」に補任された(「神祇官下文」朝山文書)。また神社の構造もそれまでの祭神一座から、現在の三座(三社殿)構造に変化したと推定される。これは中世当社領が秋鹿・島根両郡にまたがっていたことともかかわって、それが風土記にいう「狭田国」と「闇見国」の全体を覆う新しい鎮守佐太御子神とその両祖神を祀る神社と考えられたことによるものであろう。秋鹿・島根の両郡にまたがる社領はそれぞれ「佐陀庄内秋鹿分」(寛正五年一一月一二日「某安堵状案」朝山文書など)、「佐陀庄島根方」(永正九年三月一三日「堺和家重寺津家盛連署証状」成相寺文書など)などとよばれた。永正九年(一五一二)三月一三日の堺和家重・寺津家盛連署証状(同文書)に「佐陀庄島根方小林名」などとみえ、内部にはいくつかの名田があり、当社の祭礼もこれら各名田に諸費用を弁済させて執行される仕組となっていた(年月日未詳「佐太大社御神事帳」佐太神社文書)


佐太神社
さたじんじや

[現在地名]守口市佐太中町七丁目

旧京街道から東へ入った所にある。東海道分間延絵図をみると街道東側に面して鳥居が立ち参道が東に延びる。鳥居の道を挟んだ西側、淀川岸の字天神浜てんじんはまに「津出シ場」があり、船から上がると当社を望むことができる。社殿の東側に宮寺の菅相かんしよう寺があり、南方には来迎らいこう寺の境内が広がる。江戸時代には佐太天満宮・佐太天神宮と称し、今も佐太天神宮といいならわす。現祭神は菅原道真、旧村社。創建は天暦年間(九四七―九五七)と伝え、菅原道真が筑紫に配流される時、ここで舟をとめ冤罪をすすがんとしたが官使が来て沙汰を行い、その後、祠を建てた折それにちなんで沙汰を宮名にしたという伝えがある(林道春筆「佐太宮記」社蔵)。しかし、道春も述べているように「和名抄」に佐太郷の名がみえ、佐太の地名は古くよりある(ただし佐太郷の比定地には異説もある)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「佐太神社」の意味・わかりやすい解説

佐太神社
さだじんじゃ

島根県松江市鹿島(かしま)町佐陀(さだ)宮内(みやうち)に鎮座。祭神は中殿に佐太大神(おおかみ)ほか4座、北殿に天照大神(あまてらすおおみかみ)ほか1座、南殿に素盞嗚尊(すさのおのみこと)と秘説4座を祀(まつ)る。社伝によると、垂仁(すいにん)天皇54年夏に正殿の造営がなされたという古社であり、出雲(いずも)国の二宮とされていた。全国八百万(やおよろず)の神々を招く神在祭(じんざいさい)(お忌祭(いみまつり))を11月20日より25日まで行うので、一名を神在の社とも称している。旧国幣小社。本殿は3棟並立の大社造の珍しい建物である。9月24、25日の例祭に行われる佐陀神能は国の重要無形民俗文化財に指定されている。社宝に色々威胴丸兜大袖付(いろいろおどしどうまるかぶとおおそでつき)、彩絵檜扇(さいえひおうぎ)など国の重要文化財がある。なお、神社に隣接して鹿島歴史民俗資料館がある。

[吉井貞俊]


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百科事典マイペディア 「佐太神社」の意味・わかりやすい解説

佐太神社【さだじんじゃ】

島根県八束郡鹿島町(現・松江市)佐陀宮内に鎮座。旧国幣小社。佐太大神をまつる。一名,神在(かんあり)の社。延喜式内社とされる。例祭には神能が行われる。ほかに神在祭(お忌祭)がある。本殿,彩絵檜扇などの重要文化財がある。
→関連項目鹿島[町]

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デジタル大辞泉プラス 「佐太神社」の解説

佐太神社

島根県松江市にある神社。「出雲国風土記」や「延喜式」にもある古社で、出雲国二宮。正中殿、北殿、南殿は国指定重要文化財、9月に行われる例祭で奉納される神事芸能「佐陀神能」は国指定重要無形民俗文化財。

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世界大百科事典(旧版)内の佐太神社の言及

【鹿島[町]】より

…日本海に面した輪谷地区に1974年中国電力の島根原子力発電所が完成した。佐太神社は旧暦10月の〈神在(かんあり)月〉に全国から出雲に集まる神々の宿泊地と伝えられる。縄文時代の佐太講武貝塚(史),弥生時代の志谷奥遺跡古浦遺跡がある。…

【神送り・神迎え】より

…旧暦10月に全国の神々が出雲に集まるとされ,各地で神送り・神迎え,お上り・お下りなどと称する神事が行われている。他地方で神無月(かんなづき)とするのに対して,出雲では神在月(かみありづき)と称して,島根県八束郡鹿島町の佐太(さだ)神社で神在祭を行っている。神々の出発した地方では,留守神と称してまつられる神もあった。…

【佐陀神能】より

…民俗芸能。島根県八束郡鹿島町佐陀の佐太神社に伝承される神能。9月24,25日に行われ,24日の御座(茣蓙)替神事の夜には七座の神事が,25日の例祭には御座替神事を奉祝して,七座の神事《式三番》神能がいずれも境内の神楽殿で演じられる。…

【民俗芸能】より

…各地に多い巫女舞は榊や笹,幣,扇などを採物にしての神招ぎと,神がかりの舞が原型だが,いまはすべて様式化して優美な採物舞になった。中世以降,男巫(おとこみこ)による荒々しい神招ぎと託宣のわざが中国地方や四国地方に残存するが,近世は,出雲の佐太神社などを中心に,記紀神話を能風に演出してみせる仮面舞劇が広く行われるようになり,神招ぎの採物舞はその導き役程度に後退した(佐陀神能)。神楽にはまた湯立(ゆたて)を中心とした湯立神楽がある。…

※「佐太神社」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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