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保科孝一 ほしなこういち

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

保科孝一
ほしなこういち

[生]明治5(1872).9.20. 米沢
[没]1955.7.2. 東京
国語学者。 1897年東京帝国大学国文科卒業。 98年同大学助手。 1900年同講師を経て,02年東京高等師範学校教授兼東京帝国大学助教授。留学を間にはさみ,27年東京帝国大学教授兼任。 30年東京文理科大学教授。

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デジタル大辞泉の解説

ほしな‐こういち〔‐カウイチ〕【保科孝一】

[1872~1955]国語学者。山形の生まれ。早くから漢字制限などを主張し、国語教育国語問題・国語政策に尽力した。著「国語学精義」「新体国語学史」など。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

保科孝一 ほしな-こういち

1872-1955 明治-昭和時代の国語学者。
明治5年9月20日生まれ。東京高師教授をへて,昭和5年東京文理大教授。文部省の国語行政にかかわり,漢字制限,かなづかい改定など戦後の国語改革をすすめた。昭和30年7月2日死去。82歳。山形県出身。東京帝大卒。著作に「国語学精義」「国語教授法精義」「新体国語学史」など。

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世界大百科事典 第2版の解説

ほしなこういち【保科孝一】

1872‐1955(明治5‐昭和30)
国語学者。山形県米沢市出身。1897年東京帝国大学国文学科卒業。同大学助手,講師を経て,1902年東京高等師範学校教授,東京帝国大学助教授。11‐13年ドイツフランスなどに留学,30年東京文理科大学教授,40年退官して同大名誉教授となった。また1898年から文部省嘱託として国語調査,国語教科書編集に従い,さらに国語審議会幹事,同幹事長,同委員などを歴任し,最晩年まで国語改良事業の力となった。第2次大戦後の漢字制限やかなづかい改訂などの国語政策は,年来の主張の実現といえる。

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大辞林 第三版の解説

ほしなこういち【保科孝一】

1872~1955) 国語学者。山形県生まれ。東大卒。国語教育・国語政策を研究し、当用漢字・現代仮名遣いの制定に尽力した。著「国語学精義」「新体国語学史」など。

出典|三省堂
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

保科孝一
ほしなこういち
(1872―1955)

国語学者。山形県米沢(よねざわ)市生まれ。1897年(明治30)東京帝国大学文科大学卒業。同大学助手、講師を経て、東京高等師範学校、東京文理科大学教授、1940年(昭和15)退官、同大学名誉教授となる。国語教育不振の原因を国語問題の未解決にあるとみて、終生、国語改良のための国語政策に尽力した。文部省国語に関する調査主任嘱託、内閣国語審議会幹事長などを務めるとともに、雑誌『国語教育』(1917~40)を主宰、国語教育のうえにも理論、実践両面にわたって数多くの業績を残した。主要著書に『国語学精義』(1910・同文館)、『国語教授法精義』(1916・育英書院)、『新体国語学史』(1934・賢文館)、『契沖と仮名遣(づかい)』(1942・大日本放送協会出版部)、『国語問題五十年』(1949・三養書房)などがある。[峰岸 明]
『井上敏夫他編『近代国語教育論大系5 大正期』(1975・光村図書出版)』

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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