国語学者。山形県米沢(よねざわ)市生まれ。1897年(明治30)東京帝国大学文科大学卒業。同大学助手、講師を経て、東京高等師範学校(後の東京文理科大学)、東京文理科大学(現、筑波(つくば)大学)教授、1940年(昭和15)退官、同大学名誉教授となる。国語教育不振の原因を国語問題の未解決にあるとみて、終生、国語改良のための国語政策に尽力した。文部省国語に関する調査主任嘱託、内閣国語審議会幹事長などを務めるとともに、雑誌『国語教育』(1917~1940)を主宰、国語教育のうえにも理論、実践両面にわたって数多くの業績を残した。主要著書に『国語学精義』(1910)、『国語教授法精義』(1916)、『新体国語学史』(1934)、『契沖と仮名遣(づかい)』(1942)、『国語問題五十年』(1949)などがある。
[峰岸 明 2018年10月19日]
『『国語学精義』(1910・同文館)』▽『『国語教授法精義』(1916・育英書院)』▽『『新体国語学史』(1934・賢文館)』▽『『契沖と仮名遣』(1942・大日本放送協会出版部)』▽『『国語問題五十年』(1949・三養書房)』▽『井上敏夫他編『近代国語教育論大系5 大正期Ⅱ』(1975/再版・1987・光村図書出版)』
明治〜昭和期の国語学者 東京文理科大学名誉教授。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
国語学者。山形県米沢市出身。1897年東京帝国大学国文学科卒業。同大学助手,講師を経て,1902年東京高等師範学校教授,東京帝国大学助教授。11-13年ドイツ,フランスなどに留学,30年東京文理科大学教授,40年退官して同大名誉教授となった。また1898年から文部省嘱託として国語調査,国語教科書編集に従い,さらに国語審議会幹事,同幹事長,同委員などを歴任し,最晩年まで国語改良事業の力となった。第2次大戦後の漢字制限やかなづかい改訂などの国語政策は,年来の主張の実現といえる。1917年から24年間,雑誌《国語教育》を主宰したほか,1899年の《言語学大意》《国語学小史》をはじめ,《国語学精義》《新体国語学史》《国語問題五十年》《ある国語学者の回想》などの著作がある。
執筆者:林 大
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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