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歌川国貞 うたがわくにさだ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

歌川国貞
うたがわくにさだ

[生]天明6(1786).江戸
[没]元治1(1864).12.15. 江戸
江戸時代後期の浮世絵師。1世歌川豊国の門人。俗称角田 (すみだ) 庄蔵のち肖造。号は一雄斎,五渡亭,香蝶楼。弘化1 (1844) 年2世豊国を称したが実は3世目。亀戸豊国と呼ばれる。版画,肉筆画,絵本,挿絵本などを描き,浮世絵師中第1の多作家。妖艶な美人画で活躍,文政期後半には猪首で猫背に描くようになり,豊国襲名後は類型的となる。主要作品『大当狂言内』 (1811頃) ,合巻『偐紫 (にせむらさき) 田舎源氏』 (42) ,『蛍狩り』『江戸名所百人美女』。

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デジタル大辞泉の解説

うたがわ‐くにさだ〔うたがは‐〕【歌川国貞】

[1786~1864]江戸後期の浮世絵師。本名、角田庄蔵。号、一雄斎・五渡亭など。初世歌川豊国に学ぶ。初め草双紙の挿絵を描き、のち役者似顔絵や美人画に転じ、最高の人気絵師となった。正式には3世豊国とされるが、みずからは2世を称した。

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百科事典マイペディアの解説

歌川国貞【うたがわくにさだ】

江戸末期の歌川派浮世絵師。初世歌川豊国の門人。号は一雄斎,五渡亭など。のち一陽斎豊国を襲名,2世を自称したが,実は3世である。五渡亭と号した時期の美人画役者絵には,粋で艶な趣を失わない佳作が多いが,豊国襲名後は乱作に陥り形式化した。
→関連項目正本製

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朝日日本歴史人物事典の解説

歌川国貞

没年:元治1.12.15(1865.1.12)
生年:天明6(1786)
江戸末期の浮世絵師。江戸生まれ。姓は角田,名は庄蔵,のちに肖造と改める。画号に五渡亭,香蝶楼,豊国襲名後は一陽斎など。父庄兵衛は,江戸本所五ツ目の渡船場を経営。初代歌川豊国に入門し,初筆は文化5(1808)年の合巻『鏡山誉仇討』で,錦絵の上限作は文化6年3月とされる。早熟の才を発揮して,合巻挿絵,錦絵では役者絵,美人画に活躍する。文化(1804~18)末から文政期(1818~30)にかけての作品では,役者絵で「大当狂言之内」,美人画で「星の霜当世風俗」「今風化粧鏡」などが才能と意欲に溢れた好シリーズ。合巻挿絵では,文化12年初編刊行の柳亭種彦作の『正本製』が好評で,文政12年初編刊行の種彦作『偐紫田舎源氏』は大ヒットする。後者の主要人物と場面を錦絵化した「源氏絵」は,国貞錦絵の売り物となった。弘化1(1844)年には絶大な人気を背景に2代豊国を称したが,すでに豊重が2代豊国を襲名していたため,今日では3代目に数える。このころから「誂織当世島」など,版画技術の高度化と相まって画風は華美で精緻となるが,晩年にかけては全体的に濫作による質的な低下は否定できない。ただ,最晩年に錦昇堂から刊行された役者大首絵のシリーズは,画業の集大成としての気迫に満ちたもの。国貞は浮世絵の大衆化に乗じて膨大な作画量を誇り,広重,国芳ら他の歌川派の絵師と共に,江戸末期の浮世絵界を牽引した。<参考文献>鈴木重三「国貞・国芳・英泉」(『浮世絵大系』10巻)

(大久保純一)

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世界大百科事典 第2版の解説

うたがわくにさだ【歌川国貞】

1786‐1864(天明6‐元治1)
江戸末期の浮世絵師。江戸の生れ。俗称は角田庄蔵(のち肖造)。初代歌川豊国の門人で1844年(弘化1)3代豊国(自称2代)を襲名した。号は一雄斎,五渡亭,香蝶楼,月波楼,北梅戸,富眺庵など。また文政(1818‐30)の末年英(はなぶさ)一珪に師事し,英一螮(いつたい)とも号す。1807年(文化4)ころ画壇に登場,時代の好尚を巧みにとらえ人気作家として活躍,歌川画法の完成者とみなされている。作画領域は錦絵,合巻等の挿絵,秘画本にまで及ぶが,ことに江戸末期特有の美意識を如実にあらわした美人画と,役者絵にひいで,〈役者絵の国貞〉の異名をとった。

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大辞林 第三版の解説

うたがわくにさだ【歌川国貞】

1786~1864) 江戸後期の浮世絵師。初代豊国の門人。のち、三代目豊国を名乗る。猪首いくび・猫背の独特な美人画は幕末の退廃気分を濃厚に表し、よくその時代の風潮を代表する。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

歌川国貞
うたがわくにさだ
(1786―1864)

江戸後期の浮世絵師。初世歌川豊国(とよくに)の門人で、角田(すみだ)氏、俗称を庄蔵(しょうぞう)といい、1845年(弘化2)剃髪(ていはつ)して肖造と改めた。幼くして画才を認められて豊国の門に入り、1802年(享和2)あるいは1807年(文化4)ごろから作品を発表し始めたとみられている。画号は、その初期に一雄斎(いちゆうさい)、五渡亭(ごとてい)を用い、のちに香蝶楼(こうちょうろう)、富望山人(ふぼうさんじん)、富眺(ふちょう)、月波楼(げっぱろう)、北梅戸(ほくばいど)、桃樹園(とうじゅえん)、琴雷舎(きんらいしゃ)、喜翁(きおう)(77歳から使用)など、ほかに数号がある。1844年2世豊国を称するが、正式には初名歌川豊重(とよしげ)(1802―?)が2世を襲名しており、その強引さから当時相当の悪評がたったといわれる。以上の理由から現在では便宜上、国貞の豊国を3世と数えている。元治(げんじ)元年12月15日、79歳で没。
 その作域は国貞時代より晩年まで実に幅広く、多岐にわたっているが、五渡亭を号した初期にもっとも佳作がみられ、三枚続や大首絵(おおくびえ)風の美人画に優品が多い。香蝶楼国貞の名義では柳亭種彦の合巻『偐紫田舎源氏(にせむらさきいなかげんじ)』(1829~1842)の挿絵が知られる。以降、豊国を称してからは乱作に陥るものの、役者の大首絵などには多少みるべきものがある。しかし、幕末の浮世絵界では最大の勢力を形成し、生涯に描いた作品数も全浮世絵師中、最大数量であったといわれ、その功績もけっして小さくはない。[永田生慈]
『鈴木重三編『浮世絵大系10 国貞/国芳/英泉』(1976・集英社)』

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世界大百科事典内の歌川国貞の言及

【浮世絵】より

…江戸時代に盛行した庶民的な絵画。江戸を中心に発達し,江戸絵ともいう。絵画様式の源流は遠く大和絵につながり,直接的には近世初期風俗画を母胎としている。町人の絵画として,武家の支持した漢画系の狩野派とは対立するが,様式の創造的な展開のために,その狩野派をはじめ土佐派,洋画派,写生画派など他派の絵画傾向を積極的に吸収消化し,総合していった。安価で良質な絵画を広く大衆の手に届けるために,表現形式としては木版画を主としたが,同時に肉筆画も制作し,肉筆画専門の浮世絵師もいた。…

【歌川派】より

…そして,この勢いは豊国の下から国貞,国芳が出ることによっていっそう高まった。歌川国貞は役者絵,美人画において,豊国の様式を完成させて時代の寵児となり,歌川国芳も〈武者絵の国芳〉の異名をとるように,武者絵をはじめとして,風景画や風刺画などに機智と奇想を交えた作品を生み出し,人気を得た。歌川派には豊春―豊国―国貞・国芳という系列とは別に,豊春―豊広―広重という流れがある。…

【客者評判記】より

…滑稽本。式亭三馬作,歌川国貞画。1811年(文化8)正月刊。…

【芝居絵】より

…また,師宣には《北楼及演劇図画巻》(東京国立博物館)という肉筆画巻もあり,遊里とともに二大悪所と目された芝居町の風俗を多様な角度からとらえているが,木版画の一枚絵を主たる表現手段とした以後の浮世絵師は,個々の役者の姿絵に芝居絵の範囲をほぼ限定していくようになる。 そうした中で,西洋画の遠近法を採り入れた〈浮絵〉の手法により劇場の内部を統一的に描いた奥村政信(1686‐1764)や,三都の芝居町の楽屋内の模様をそれぞれ大判三枚続きの大画面に精細に報告した歌川国貞(1786‐1864),あるいは土壁への釘による落書になぞらえて滑稽な役者似顔の戯画を生んだ歌川国芳(1797‐1861)らの,異色の画業が特筆されるであろう。さらには,幕末の土佐に出て,奔放な筆致と原色的な色彩を用い,地方土着の激情を台提灯絵(だいちようちんえ)の芝居絵に発散させた絵金(1812‐76)の活躍も注目に価するものがある。…

【正本製】より

…12編。柳亭種彦作,歌川国貞画。1815‐31年(文化12‐天保2)刊。…

【偐紫田舎源氏】より

…合巻。柳亭種彦著,歌川国貞画。1829‐42年(文政12‐天保13)刊。…

【柳亭種彦】より

…演劇好きで,他の芸能娯楽にも趣味をもつ資質が,絵画要素が主位を占め画文が有機的に提携するこの合巻に適合した。特に歌舞伎趣味を極度に発揮した《正本製(しようほんじたて)》(1814)が成功を収めて地歩を確立したが,本書の挿絵を担当した浮世絵師歌川国貞と以後密に提携して,歌舞伎趣向の濃い中短編の佳作《画傀儡二面鏡(えあやつりにめんかがみ)》《御誂染遠山鹿子(おあつらえぞめとおやまがのこ)》などを制作し,彼の特質である江戸初期文芸の知識を生かした品格ある作風で声価を高めた。また,文政(1818‐30)末年合巻界に大作古典の翻案による長編作流行の興起を見て,《源氏物語》に取材し,新趣向を凝らした大作《偐紫田舎源氏(にせむらさきいなかげんじ)》を発表し,大好評を得て合巻界の第一人者となった。…

※「歌川国貞」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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