傾城仏の原(読み)ケイセイホトケノハラ

デジタル大辞泉 「傾城仏の原」の意味・読み・例文・類語

けいせいほとけのはら【傾城仏の原】

歌舞伎狂言時代物三番続き。近松門左衛門作。元禄12年(1699)京都みやこ万太夫座初演坂田藤十郎やつし事主眼とする御家物代表作

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精選版 日本国語大辞典 「傾城仏の原」の意味・読み・例文・類語

けいせいほとけのはら【傾城仏の原】

歌舞伎脚本。三番続。近松門左衛門作。通称「仏の原」。元祿一二年(一六九九)京都都万太夫座初演。外題は、越前国ゆかりの能「仏原」に上方慣例の「けいせい」の字を冠したもの。京都東山の仏原山月窓寺の彌陀仏開帳を当てこんだ作品で、傾城買い骨子とした越前国梅永家の御家騒動主筋とする。水島四郎兵衛に同名の狂言がある。

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改訂新版 世界大百科事典 「傾城仏の原」の意味・わかりやすい解説

傾城仏の原 (けいせいほとけのはら)

歌舞伎狂言。お家物。3幕。近松門左衛門作。1699年(元禄12)正月京の都万太夫座上演。梅永文蔵を初世坂田藤十郎,傾城今川を霧波千寿,今川の父乾介太夫を藤川武左衛門,家老望月八郎左衛門を柴崎林左衛門ほか。京,東山における仏原山月窓寺の沓はき阿弥陀の開帳を当て込み,越前の国主梅永家のお家騒動に仕立てた作品。好評により,後日狂言《竜女ケ淵》,三の後日《敦賀の津三階蔵》と,一連の作品を上演。また大坂嵐座でも同年同月,水島四郎兵衛作として《傾城仏の原》を上演。近松作とほぼ同内容。1703年には江戸でも同外題で,上方のものの趣向を採り入れた作品が山村座において上演されている。総領の文蔵が傾城に入れあげ勘当されるところから始まる。これまでのお家騒動物は,主謀者が継母とその一味の家老であったが,当作では実弟と総領方の家老が主謀者である点が目新しい。勘当された文蔵が紙衣(かみこ)姿で遊里に現れ,愛人に会う二幕目は,近松の浄瑠璃の一系統〈夕霧伊左衛門物〉以来の局面で,文蔵の役はやつしを得意とした藤十郎の代表的な当り芸といえる。悪に加担した藤川武左衛門の役は〈実悪〉の役柄の最初といわれる。近松歌舞伎の規範的作品。三幕目は悪人滅びお家安泰の定法。藤十郎はこの一連の作の大当りで,大邸宅を構えたという逸話を残している。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「傾城仏の原」の意味・わかりやすい解説

傾城仏の原
けいせいほとけのはら

近松門左衛門の歌舞伎(かぶき)脚本。1699年(元禄12)1月、京都の都万太夫座(みやこまんだゆうざ)で初世坂田藤十郎らにより初演。越前(えちぜん)の国主梅永(うめなが)家の家督争いを背景にした御家騒動物で、脚本は残っていないが、絵入(えいり)狂言本が伝存、筋を知ることができる。三番続きの構成で、梅永刑部(ぎょうぶ)の長子文蔵(ぶんぞう)が家横領をねらう弟帯刀(たてわき)のため追放されて流浪する話。落ちぶれた文蔵をめぐり、恋人である2人の遊女今川、奥州、許嫁(いいなずけ)の竹姫たちとの間にさまざまな波瀾(はらん)が起こるが、今川の実父介太夫(すけだゆう)が悪人方から改心して帯刀を討つことにより、文蔵が家督を継ぎ、御家安泰となる。当時東山(ひがしやま)にあった月窓寺(げっそうじ)の開帳を当て込んだもので、最後は一同が月窓寺に落ち合って総踊りになる趣向。奥州とのなれそめを語る長台詞(ながぜりふ)を見せ場とした藤十郎の文蔵が大好評で、彼の「やつし事」の代表作となった。作者近松にとっても、『傾城壬生大念仏(みぶだいねんぶつ)』など多くの傾城買狂言の基盤になっている。

[松井俊諭]

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歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典 「傾城仏の原」の解説

傾城仏の原
けいせい ほとけのはら

歌舞伎・浄瑠璃の外題。
作者
近松門左衛門(1代) ほか
初演
元禄12.1(京・藤十郎座)

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