八葉寺(読み)はちようじ

日本歴史地名大系 「八葉寺」の解説

八葉寺
はちようじ

[現在地名]香寺町相坂

八徳はつとく(二六〇・二メートル)の山上にある。八徳山と号し、天台宗。本尊は十一面観音。円教えんぎよう寺・随願ずいがん(現姫路市)一乗いちじよう寺・普光ふこう(現加西市)神積じんしやく(現福崎町)とともに播磨天台六ヵ寺の一に数えられる古刹。行基開創との寺伝があるが、「峯相記」によると、寂心が正暦年中(九九〇―九九五)に堂舎などを建立したという。寂心は賀茂忠行の子で、家業である陰陽道を捨て儒者となり、慶保胤(慶滋保胤)と名乗った。寛和(九八五―九八七)の頃に出家して八徳山に分け入ったという。また寂心は書写山円教寺の性空と交流があり、長徳元年(九九五)性空から沐浴の湯釜を贈られたという。そのかかわりについては播州書写山縁起や御廟講式裏書(ともに円教寺蔵)など、書写山側にも記録がある。寂心は「日本往生極楽記」などの編者として知られる。「今昔物語集」巻一九(内記慶滋ノ保胤出家語第三)には堂を造るための材木を得ようと播磨国へ行き寄進を募って歩いたとの記事がある。その後三条天皇勅願所として詔書が下付され、藤原道長から仏具などが寄進されたという(峯相記)。極楽寺経塚瓦経篦書銘の法華経巻五に「天台末流八徳寺住僧永尊」、願文に「八徳寺僧永尊」とみえ、康治元年(一一四二)から天養元年(一一四四)にかけて極楽寺別当大法師禅慧による瓦写経に当寺の永尊が協力している。

永和三年(一三七七)六月日の播磨国穴無郷内高市宗政領知田畠坪付注文(大徳寺文書)に京都大徳寺塔頭海珠寺領穴無あなせ(現姫路市)の二条一三坪に二五代の「八徳寺屋敷」がみえる。

八葉寺
はちようじ

[現在地名]河東町広野

冬木沢ふゆきざわ集落北側にあり、如来山悉地成就院と号し、真言宗室生寺派。本尊阿弥陀如来。康保元年(九六四)空也の開基と伝える。一説には空也は天禄三年(九七二)当地で没したという。俗に会津の高野山とよばれ、阿弥陀堂(国指定重要文化財)は冬木沢阿弥陀堂として民間の信仰が厚い。境内には阿弥陀堂を中心に仁王堂・空也霊泉・鐘楼があり、右には閻魔堂、左には空也上人像を安置する空也堂がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

デジタル大辞泉プラス 「八葉寺」の解説

八葉寺

福島県会津若松市にある寺院。1585年以前に建てられたとされる阿弥陀堂は国の重要文化財に指定されている。

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