兵庫寮(読み)ひょうごりょう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

兵庫寮
ひょうごりょう

律令制のもとで,兵器保管出納った中央官庁大宝令では左右兵庫寮 (長官兵庫頭) と内兵庫 (長官は内兵庫正) があったが,平安時代の初め大同3 (808) 年左右兵庫に合併され,さらに寛平8 (896) 年左右兵庫寮,造兵司鼓吹 (くすい) 司を合併して兵庫寮となった。昌泰1 (898) 年これを兵部省管下においたが,まもなくに復した。

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百科事典マイペディアの解説

兵庫寮【ひょうごりょう】

兵部(ひょうぶ)省所属の令制官司。和訓は〈つわもののくらのつかさ〉。職掌は武器製造・管理,鼓吹(くすい)の教習など。令制以前に兵庫職,令制下では左右兵庫と内(うち)兵庫があった。808年左右兵庫が内兵庫を併合し,896年造兵司鼓吹司と統合。職員は頭(かみ)・(すけ)・大允(だいじょう)・少允・大属(だいさかん)・少属各1人,史生(ししょう)4人ほか。→大宝律令養老律令

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世界大百科事典 第2版の解説

ひょうごりょう【兵庫寮】

日本古代の律令制下の官司。朝廷における武器の管理・出納のことをつかさどる。〈つわもののくらのつかさ〉ともよみ,唐名は武庫署。《日本書紀》によると,天武天皇の朱鳥1年(686)にすでに兵庫職の名が見える。大宝・養老令制では,左右兵庫と内兵庫(うちのひようご)とがあり,前者には頭,助,大允,少允,大属,少属が各1人,後者には正,,令史各1人などの職員があった。内兵庫は天皇御料の兵器を管理したとみられる。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

兵庫寮
ひょうごりょう

奈良時代の軍事官衙(かんが)。左右に分かれる。和名「つわもののくらのつかさ」。兵庫の儀仗(ぎじょう)、兵器の安置、出納を管掌した。構成は、それぞれ、頭(かみ)1、助(すけ)1、大允(だいじょう)1、少允1、大属(だいさかん)1、少属1、使部(しぶ)20、直丁(じきてい)2。平安初期に史生(ししょう)各2員が新置。兵庫の儀仗は帝都において行われた元旦(がんたん)儀衛、蕃客(ばんきゃく)宴会などで使用されたもの。また兵器については、集団戦用の各種軍器を含んでいたと考えられ、兵庫寮の武器管理の任は重く、その器仗出納は、勅を必要とし、厳重な管理下に置かれていた。なお内兵庫司が併置されていたが、兵庫寮と内兵庫司の関係について、非常に備えて同じものを二つ設定していたのか、一般的な武器の出納と天皇に直接かかわる武器の出納の機構を独自に設けていたのか、平安期に諸説がみられ、律令(りつりょう)以後、兵庫寮の運営については律令制定の趣旨に変化があったと推測される。

[野田嶺志]

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精選版 日本国語大辞典の解説

つわもののくら‐の‐つかさ つはもの‥【兵庫寮】

〘名〙 令制で、器杖、兵器の保管・出納・曝涼などをつかさどる官司。左・右兵庫寮に分かれる。寛平八年(八九六)左・右兵庫寮、造兵司、鼓吹司の四つを合併して兵庫寮とし兵部省の管轄に入った。「つわものくらのつかさ」ともいう。ひょうごりょう。〔二十巻本和名抄(934頃)〕

ひょうご‐りょう ヒャウゴレウ【兵庫寮】

〘名〙 令制で、兵庫(一)①にある兵器・儀仗(ぎじょう)を管理し、その出納・修理・曝涼(ばくりょう)などをつかさどった官司。左・右に分かれ、それぞれに頭、助、大・少允、大・少属などの職員があり、別に内兵庫司があって正・佑・令史などがおかれていた。大同三年(八〇八)、内兵庫司を廃して左・右兵庫寮に併合し、また、寛平八年(八九六)に、左・右兵庫寮および造兵・鼓吹を併合して兵庫寮とし、兵部省の管轄下においた。つわもののくらのつかさ。
※延喜式(927)二八「元日平旦、〈略〉閤外大臣就朝集堂、召兵部省、即丞入受命、出令兵庫寮撃外辨鼓

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