改訂新版 世界大百科事典 「円ブロック」の意味・わかりやすい解説
円ブロック (えんブロック)
1929年の大恐慌後主要資本主義国はそれぞれ植民地および勢力圏下の諸国をとりこんで,スターリング・ブロック,マルク・ブロック,金ブロックなどの排他的かつ閉鎖的な経済圏を形成したが,日本も満州国(中国東北),中国占領地を中心対象としてブロック経済圏を形成した。これを円ブロックという。31年に始まった満州事変以降日本は軍事侵略を拡大させていき,その占領諸地域に,満州中央銀行,察南銀行,蒙疆銀行,中国連合準備銀行,中央儲備銀行などの中央銀行を設立し,その発行する銀行券を日本円とリンクさせた。つまり占領各地域の通貨を日本円と等価で結合させることにより,占領地経済を日本経済に独占的に包摂し,原料資源や投資および輸出市場の独占的確保を図ったのである。こうした日本円との等価リンクは,満州や華北では35年の日満通貨等価リンクの実施,38年の中国連合準備銀行開業によって制度的には形を整えたが,華中では国民政府の法幣が根強く流通していたために十分には達成しえず,法幣とリンクさせた軍票を流通させざるをえなかった。また満州や華北でも,日本の外貨資金不足のためのブロック内への輸出統制,資源の一方的略奪などの結果としての通貨の濫発が進み,インフレーションが急激に高進した。太平洋戦争への突入とともに,この円ブロックは〈東亜金融圏構想〉へと拡大し,円決済協定の締結による現地通貨の調達(タイおよびフランス領インドシナ),南方開発金庫設立(1942)による現地通貨表示での開発券の発行(1943),特別円勘定の設定などが行われた。しかし“点と線”(都市と鉄道沿線)のみの支配にとどまった日本側は,資源,軍費の調達をほとんどなしえず,通貨のいたずらな濫発のみが進行した。こうしてブロック内各地域間の経済的連係は分断され,インフレーションの激化によってブロック経済圏は崩壊への道を一途にたどっていった。
→ブロック経済
執筆者:伊藤 正直
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報