「でさく」「しゅっさく」ともよむ。荘園(しょうえん)内に居住する農民らが、荘境を越えて公領(こうりょう)(国衙(こくが)領)や他荘の田畠(たはた)を請作(うけさく)すること。とくに平安時代に特徴的に盛行した。農民たちは、出作地にも田屋(たや)とよばれる小屋をつくって農繁期用の住居とした場合も多い。公領に出作した農民は、所当官物(しょとうかんもつ)を納めるだけで、国衙に対する雑役を免除された。荘園領主は、このような自領内の農民の出作地を負田(ふでん)・出作負名(ふみょう)と称し、荘園拡大の橋頭堡(きょうとうほ)とした。つまり、出作農民に対する支配権を根拠に、その出作地をも荘園化していったのである。とくに有名な例に、東大寺領伊賀国黒田(くろだ)荘(三重県名張(なばり)市)の場合がある。元来、杣(そま)であった黒田荘にはわずかな本免田(ほんめんでん)しかなかったので、荘民(杣工)らが盛んに公領に出作した。他方、公領の田堵(たと)農民らも、国衙の雑役を逃れようとして、これまた盛んに黒田荘の寄人(よりゅうど)となったので、黒田荘の出作は飛躍的に増加した。東大寺はそのような動向を巧みにとらえ、国衙との激しい相論を繰り返しながら、公領内田畑の寺領化を推し進め、ついに1174年(承安4)不輸寺領化を成し遂げ、約270余町の出作・新荘を成立させたのである。なお、江戸時代には、百姓が他村にある田畑を耕作することを出作(でさく)といった。その田畑のある村からみると入作(いりさく)である。
[黒田日出男]
「しゅっさく・でづくり」とも。特定の所領の住人が他領の田畠を耕作すること。平安後期から多くみられる。中世では,荘民が近くの公領や他荘に出作する事例が一般的だが,荘園公領制の形成期には出作地や出作民の帰属をめぐって相論が生じることが多く,東大寺領伊賀国黒田荘のように,数百町にも及ぶ公領への出作地が荘領に組み込まれることもあった。近世では他村の土地を耕作することをいう。入作(いりさく)の対語。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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…〈出作(でさく)〉ともいう。
[古代・中世]
特定の所領の住民が他の所領で耕作すること。…
※「出作」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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