志野焼(読み)シノヤキ

デジタル大辞泉 「志野焼」の意味・読み・例文・類語

しの‐やき【志野焼】

桃山時代美濃国から産した陶器。茶器が多く、長石質半透明白釉はくゆうを厚く施したもの。うわぐすりの下に酸化鉄文様を描く絵志野ほか、加飾法によってねずみ志野・紅志野などに分かれる。志野。

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精選版 日本国語大辞典 「志野焼」の意味・読み・例文・類語

しの‐やき【志野焼】

  1. 〘 名詞 〙 美濃国(岐阜県)で産出する陶器。長石質の白釉(はくゆう)が厚くかかったものが基本で、下に鉄で文様を描いた絵志野が最も多い。ほかに釉(うわぐすり)の下に酸化鉄を塗り、鼠色に仕上げた鼠志野、黄土を用いた紅志野、それの薄い赤志野、その他練上手志野などがある。安土桃山時代、美濃諸窯で焼かれたが、天正年間(一五七三‐九二)大萱(おおかや)窯で焼いたものが特にすぐれている。
    1. [初出の実例]「志野焼の菓子器とか、九谷の徳利とか」(出典:細雪(1943‐48)〈谷崎潤一郎〉上)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「志野焼」の意味・わかりやすい解説

志野焼
しのやき

桃山時代に始まる岐阜県の美濃焼(みのやき)の一作風で、長石釉(ゆう)(白釉)をかけた陶器の総称。長石に灰を加えた白釉が美濃焼で焼かれ始めるのは室町時代末期(16世紀中葉)とする説もあるが、長石単味の白釉が登場するのは桃山時代前期、天正(てんしょう)から文禄(ぶんろく)にかかる1580~90年代ではないかとする説が有力となりつつある。

 美濃焼は瀬戸焼から分派して成立した窯であるが、瀬戸焼が茶入れや茶壺(ちゃつぼ)に主力を傾けていた桃山時代に、新興のわび茶の世界でにわかに造形の魅力を問い始めた時代相を背景にして、茶碗(ちゃわん)、花入れ、水指(みずさし)、香合(こうごう)、香炉、そして食器類に創意を発揮したのが志野焼であった。当時すでに中国製の白磁や染付が全国的に広まっていたが、美濃窯は白釉を創始することにより、磁器の冷徹な味わいを離れた、和様の雅陶をつくりだしたのである。まず鉄絵の具を用いて釉下に文様を描くいわゆる絵志野が考案され、鉄分の多い鬼板(おにいた)を白素地(しろきじ)全面に塗りつぶしてから、文様を掻(か)き落として白釉を施す赤志野と鼠(ねずみ)志野、そして鬼板のかわりに黄土を用いる紅(べに)志野などの多彩な加飾法が案出されて、桃山ならではの当意即妙の文様を表した。なお桃山後期に流行する織部焼(おりべやき)の作風に近い絵志野は、俗に志野織部とよばれている。

 こうして江戸前期の17世紀まで志野は焼造されたが、1678年(延宝6)に瀬戸を訪れた土佐尾戸焼の陶工森田久右衛門(きゅうえもん)は、美濃窯に触れて、白い焼物が焼かれていることを記しながらも、直接には足を向けていないことからもわかるように、江戸時代に入るとその人気、作風は急速に低落した。

 志野焼の代表的な窯場としては、岐阜県可児(かに)市の牟田洞(むたぼら)、窯下(かました)、土岐(とき)市の久尻元屋敷(くじりもとやしき)、大富(おおとみ)、定林寺(じょうりんじ)、高根(たかね)の諸窯があげられる。また代表作としては、志野茶碗では「卯花墻(うのはながき)」(国宝)と「羽衣」の銘をもつものが双璧(そうへき)であり、志野芦絵水指(あしえみずさし)銘「古岸(こがん)」(重要文化財、東京・畠山(はたけやま)記念館)、鼠志野鶺鴒文鉢(せきれいもんばち)(重要文化財、東京国立博物館)、鼠志野柳文平鉢(やなぎもんへいはち)(東京・サントリー美術館)などがとくに名高い。

[矢部良明]

『林屋晴三編『日本の陶磁2 志野』(1974・中央公論社)』


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百科事典マイペディア 「志野焼」の意味・わかりやすい解説

志野焼【しのやき】

岐阜県土岐市の付近一帯で焼かれた陶器。天正〜元和ごろを盛期として,岐阜県大萱(おおがや)の製品が最もすぐれている。白い長石釉(ゆう)を厚く施した柔らかみのある雅趣に富んだ焼物で,無地志野,釉下に鉄で簡素な文様を描いた絵志野,鼠(ねずみ)色で彫り模様のある鼠志野,鉄釉を薄くかけた紅志野などがある。製品は日常雑器のほか,茶碗や水差し,香合などの茶器が多い。
→関連項目荒川豊蔵北大路魯山人香合瀬戸焼鉄絵

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「志野焼」の意味・わかりやすい解説

志野焼
しのやき

安土桃山時代に織部焼の一種として,岐阜県可児郡や土岐市を中心とした地方で焼かれた陶器。厚い胎土の大ぶりな器体に白い長石釉 (志野釉) をたっぷりかけて焼くのが特色。志野釉だけの無地志野,素地に鉄釉で簡素な絵や文様を描き,志野釉をかけた絵志野,白素地に自然の酸化鉄 (鬼板) をかけ志野釉を施した鼠志野,これと同じ手法で赤く発色した赤志野,白土に赤土を練込んで成形した練込志野などの種類があり,茶碗,水差し,鉢,皿などが作られた。室町時代の茶人の志野宗信の好みにより作り出されたという伝説もあるが信じがたい。なお「志野茶碗」と混同されやすいが,志野茶碗は唐物で国産ではない。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「志野焼」の解説

志野焼
しのやき

桃山時代の美濃焼で作られた白釉陶。志野焼という窯場はない。美濃焼は天正年間,中国景徳鎮(けいとくちん)窯の白磁を手本に長石を使って白釉陶を創案。これに着目して茶人が茶道具を作らせた。文献では「松屋会記」天正14年(1586)条に「セト白茶碗」とあるのが初出。考古学的にもこの時期をさかのぼらない。当初は瀬戸焼と称し,志野の文字は江戸中期になって付与され,近衛家熙(いえひろ)の「槐記(かいき)」にはじめて認められる。その作風により無地志野・絵志野・鼠(ねずみ)志野,赤志野・紅(べに)志野・練込み志野・志野織部(おりべ)などに分類される。江戸初期で絶え,江戸後期に瀬戸焼が復興した。

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