原子力基本法(昭和30年法律第186号)第7条に基づいて日本原子力研究所と並んで設置されていた原子力開発機関。略称、動燃(どうねん)。1998年(平成10)9月30日に解団し、同年10月1日発足した核燃料サイクル開発機構(本社・茨城県東海村)に事業が引き継がれた。
動燃は、1967年(昭和42)10月2日、旧原子燃料公社を吸収合併して発足した。初代理事長は井上五郎(1899―1981)。本社を東京に、鳥取・岡山県境の人形峠と茨城県東海村に事業所、福井県敦賀(つるが)市に高速増殖原型炉「もんじゅ」と新型転換炉「ふげん」発電所と事務所、茨城県大洗(おおあらい)町に工学センター、岐阜県土岐(とき)市に地科学センター(海外探鉱活動のセンターも兼ねる)を置き、広範な業務を行ってきた。
1995年12月8日「もんじゅ」ナトリウム漏れ事故が起きた。事故の重大さにもかかわらず、動燃は事故情報の秘匿や虚偽報告を行ったため、厳しい世論の批判を浴び、かねてより開発の見直しが求められていた高速増殖炉のあり方が問題となった。そこへ1997年3月11日、東海事業所の再処理工場の付属施設である放射性廃棄物アスファルト固化施設で火災・爆発事故が起きた。この事故で、放射能の閉じ込め構造が破れて外部環境にさらされ、従業員多数が被曝(ひばく)した。また、同年4月14日に発生した「ふげん」のトリチウム漏れの通報遅れも問題となるなど相次ぐ不祥事に、動燃のあり方や体質の全面的見直しが進められた。科学技術庁(現文部科学省)の設けた「動燃改革検討委員会」(座長・吉川弘之元東大総長)は、動燃の業務を高速増殖炉の開発と放射性高レベル廃棄物の処理・処分に絞るなどを骨子とする改革案をまとめたが、結局解団し、動燃が手がけていた業務は大幅に縮小したうえで、核燃料サイクル開発機構に引き継がれた。その後2005年(平成17)10月1日、核燃料サイクル開発機構は日本原子力研究所と統合し、独立行政法人日本原子力研究開発機構となった。
[中島篤之助]
新型動力炉および核燃料サイクルの確立のために,〈動力炉・核燃料開発事業団法〉に基づき1967年10月に設立された特殊法人。動燃と略称。新型炉開発では,ウランの有効利用を図れる新型転換炉と高速増殖炉の自主開発を進めており,前者では電気出力16.5万kWの原型炉〈ふげん〉を運転中で,後者については実験炉〈常陽〉を経て電気出力28万kWの原型炉〈もんじゅ〉を建設した。また,大型研究施設を茨城県大洗町に有す。核燃料サイクル開発では,国の内外でウラン資源の探鉱を行うほか,岡山県人形峠ではウランの製錬転換・ウラン濃縮パイロットプラントの運転および原型プラントの建設を行っており,また茨城県東海村では再処理工場の運転,再処理技術開発,プルトニウム燃料の製造および廃棄物の処理処分などの開発を進めている。
執筆者:植松 邦彦 〈もんじゅ〉は使用前検査中の1995年12月,冷却材の漏洩事故を起こしたが,自治体などへの事故連絡が遅れるなどの問題が指摘された。97年3月,再処理工場のアスファルト固化処理施設で火災が発生した。この事故で動燃は虚偽の報告を行ったばかりか,事実を隠蔽する工作を行ったことが明らかになった。科学技術庁が動燃の抜本的な改革を図るため,97年4月に動燃改革委員会を設置するなど,動燃改革が議論された。98年10月から動燃は〈核燃料サイクル開発機構〉となったが,2005年10月日本原子力研究所と統合されて独立行政法人の〈日本原子力研究開発機構〉となった。
執筆者:編集部
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