律令(りつりょう)制における位階の一種。おもに軍功者に与えられた場合と、神社に授与された場合があった。「大宝令(たいほうりょう)」において創設され、勲一等より十二等までの等級があり、各勲位はそれぞれ正三位(しょうさんみ)以下従(じゅ)八位までの各官位に比当され、朝儀に列立する際などの序列の目安とされた。勲位は蝦夷(えみし)・隼人(はやと)征討に功をたてた軍士に与えられた例が多く、俘囚(ふしゅう)軍(投降してきた蝦夷を編成した軍隊)の軍功者にも授与された。また藤原仲麻呂(なかまろ)の乱(764)の際には、内乱鎮圧の功に対しても勲位が授けられ、叙勲の範囲は著しく拡大した。しかし9世紀後半以降、勲位制は急速に衰え、わずかに神社の帯勲のなかに命脈を保った。1875年(明治8)に至り、明治政府は8等よりなる勲位を定め、以後制度の改定を重ねたが、1946年(昭和21)に生存者への叙勲は停止された。しかし64年ふたたび生存者叙勲が復活し、現在に及んでいる。
[吉岡眞之]
『野村忠夫著『律令官人制の研究』増訂版(1970・吉川弘文館)』▽『渡辺直彦著『日本古代官位制度の基礎的研究』(1972・吉川弘文館)』
大宝律令(701成立)で創始された位階の一種。勲一等~十二等の等級があり,原則として軍功に授けられた。唐の勲官制をモデルにして創設され,対蝦夷・隼人軍事行動で軍功のあったものに授けた。大宝令位階体系のなかで,内・外位に比べて,勲位の処遇は著しく低く,また勲一等は正三位,勲十二等は従八位下を帯びる官人の末席に序列された。令制では無位の帯勲者が内・外位を取得できる方式がなく,704年(慶雲1)にその道が開かれた。724年(神亀1)の聖武天皇即位の際,例外的に中央・地方の四等官をはじめ,郡司・軍毅(ぐんき)らに勲位が与えられ,また恵美押勝(えみのおしかつ)の乱後,765年(天平神護1)の論功行賞で,初めて内乱の軍功に勲位が授けられた。そして蝦夷の有功者や征討などに霊験のあった神社にも与えられたが,対蝦夷軍事行動の終結と帯勲者の老死で,9世紀末葉からは神社の帯勲だけが残った。
→位階勲等
執筆者:野村 忠夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…位階体系の中心系列である内位,傍系的な外位(げい),勲位を授けること。令制で位階を授ける方式は,内・外五位以上を授ける勅授,内八位・外七位以上を授ける奏授,外八位および内・外初(そ)位を授ける官判授に分かれるが,勲位は六等以上が勅授,七等~十二等が奏授であった。…
…神位ともいう。令には規定はないが,品位(ほんい),位階,勲位の3種があり,品位は正史としては《続日本紀》に749年(天平勝宝1)12月東大寺大仏建立の功により,宇佐八幡大神に一品,比咩(ひめ)神に二品を奉ったとあるのが初めで,四品以上4階ある。位階は,同書766年(天平神護2)に伊予国の伊曾乃神など4神に奉ったとあるもの,勲位は同書771年(宝亀2)10月,越前国の劔神に食封,田をあてた条に従四位下勲六等とあるのが初見。…
※「勲位」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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