地質時代の区分の一つ。第四紀は約258万年前から現在に至るまでの時代である。第四紀に形成された地層を第四系という。18世紀ころから地層を、堅さ、変質度、構造などをもとに分けて、古いほうから第一紀(Primary)、第二紀(Secondary)、第三紀(Tertiary)とよんで区分していた。1829年フランスの地質学者デノワイエJules Desnoyers(1800―1887)は、パリ盆地の第三紀層を覆う砂礫(れき)層に対しこれを第四紀層とよぶことを提唱した。19世紀後半には第一紀、第二紀ということばは、ヨーロッパ各地でさまざまに使われたため矛盾が多くなり、ほとんど使用されなくなった。化石の対比をもとに、古生代、中生代、新生代という新しい概念も生まれてきた。第三紀と第四紀は新生代とされた。
第四紀は更新世(約258万年前~約1万1700年前)と完新世(約1万1700年前~現在)とからなる。第四紀は、ほかの地質時代区分と比較して非常に短い期間であるが、人類の出現と進化の時代であること、および過去の情報がほかの時代と比べて大量によく保存されていることなどが特徴である。
第四紀の始まり(鮮新世―更新世の境界)についてはさまざまな議論を経てきた。まず1948年の万国地質学会議で、イタリアのカラブリアン(海成層)とビラフランキアン(陸成層)の下限とするように勧告された。その後1984年になってようやく、イタリア南部のブリカの地層(ブリカセクション)を指定し、地磁気で決定する時代であるオルドバイ正磁極亜期の上限約180万年前を第四紀の始まりとした。ところが1992年の京都の万国地質学会議では松山逆磁極期とガウス正磁極期の境界である約260万年前を第四紀の始まりにしたいという意見が大勢を占めた。第四紀の特徴であるホモ属の出現、急激な気候の周期変化、黄土(レス)の堆積(たいせき)開始が期せずして松山―ガウス境界にあたること、逆に、これまで第三紀と第四紀の境界の模式地とされていたイタリアのブリカの地層では、この境界をはさんで地層に大きな断絶がなく、連続していることなどが理由としてあげられた。その後もさまざまな議論があり、ようやく2009年に国際地質科学連合(IUGS)により「第四紀は約258万年前から現在」と再定義された。前年の2008年には、これまで古第三紀(Paleogene)と新第三紀(Neogene)の総称であった第三紀は非公式用語となり、地質時代の名前のうち順番を表すものは、最後の第四紀のみが残った。
第四紀はいわゆる氷河時代であり、気候は第四紀以前の新第三紀に比較して寒冷である。寒冷化は一方的に進行したのではなく、寒冷化と温暖化は交互に起こり、氷床や山岳氷河の拡大と縮小、世界的な海面の低下と上昇、生物分布域の移動などが繰り返し起きた。振幅の大きい急激な気候の周期変化は、表面海水の温度の変動を導き、地球化学的には酸素同位体比の変動として記録される。セルビアの天文学者で数学者のミランコビッチMilutin Milankovitch(1879―1958)は1930年に、地球軌道要素(地軸の傾き、公転軌道の離心率、地軸の歳差運動)の周期的変化によって気候変化が生じるとした(ミランコビッチ・サイクル)。1970年代より、深海堆積物に残された記録が丁寧に調査され、ミランコビッチの唱えた変動が確認されている。寒冷化に伴って地球規模での乾燥化も促進され、世界各地に黄土などの特殊な陸成堆積物が分布している。
[矢島道子 2015年8月19日]
生物群は現生種との共通性が非常に高いが、更新世に繁栄した陸生動物には絶滅したものもある。北半球の高緯度地帯に生息したマンモスゾウやケナガサイなどはその好例である。中緯度地方では寒冷気候下に生息するものと、温暖気候下に生息するものの両者が交互に現れ、気候の変動とともに広域にわたる生物の移動が行われたことがわかる。気候変化だけでなく、氷河の発達と縮小に起因する海退、海進は生物の分布に大きな影響を与えた。
最初の人類であるアウストラロピテクスの仲間は700万年前のサヘラントロプス・チャデンシスSahelanthropus tchadensis(アフリカ中部に生息していた霊長類)と考えられているが、約260万年前にはアウストラロピテクスの歩んだ道とは別のホモ属が現れ、約150万年前にはアウストラロピテクスのほうは絶滅してしまった。人類は気候変化の激しい更新世を生き続け、進化して、熱帯から寒帯まで、旧大陸から新大陸・オセアニアまで分布範囲を広げ、完新世を迎えて世界各地で農業を開始し、人口が爆発的に増加し、文化を発展させた。
[矢島道子 2015年8月19日]
一般に第四紀層は氷河成砂礫層や段丘堆積物で特徴づけられるが、日本では各地に段丘堆積物がみられるとともに、非常によく連続した海成堆積物が地殻変動の影響で陸化した房総半島、男鹿(おが)半島、大阪平野などにみることができる。しかも絶対年代のわかる火山灰鍵(かぎ)層が無数に確認され、第四紀の実相はよくわかってきている。
[矢島道子 2015年8月19日]
『町田洋・新井房夫・森脇広著『地層の知識――第四紀をさぐる』改訂新版(2000・東京美術)』▽『田渕洋編著、阿部祥人・岩田修二・小泉武栄他著『自然環境の生い立ち――第四紀と現在』第3版(2002・朝倉書店)』▽『池田安隆他編『第四紀逆断層アトラス』(2002・東京大学出版会)』▽『町田洋・大場忠道・小野昭他編著『第四紀学』(2003・朝倉書店)』▽『日本第四紀学会・町田洋・岩田修二・小野昭編『地球史が語る近未来の環境』(2007・東京大学出版会)』
新生代の第三紀の後につづく紀で,地質時代の最後の紀である。第四紀はさらに氷河時代の更新世(洪積世)と後氷期の完新世(沖積世)に区分され,全体が約200万年前から現在までを含む時代である。なお,慣用的に〈だいよんき〉と読まれるが,正しくは〈だいしき〉と読む。
第四紀の名は,はじめ1829年にデノアイエJ.Desnoyersがパリ盆地で第三系に重なる海成の砂礫層の年代名とした。C.ライエルは1833年,貝化石の現生種の百分率にもとづく区分で,第三系の最上層を新鮮新統,そして人類の遺物を含む地層を人類の時代という意味の現世と命名した。その後ライエルは,新鮮新統をPleistocene(最新の意味。更新世)と改め,貝化石の百分率法で現生種を70%以上含む,と定義した。しかし,1846年フォーブズE.Forbesにより,現世を除く氷河時代にのみPleistoceneを用いることが提案され,そのように定着している。また,ライエルのいう現世は完新世という名称で,1885年の第3回国際地質学会議で採択されている。日本では,更新世と完新世という名称とは別にそれぞれに洪積世と沖積世を同義に用いている。洪積世,沖積世の呼称は,1822年マンテルG.A.Mantellが名づけ,翌年バックランドW.Bucklandが採用したものである。それは,台地を構成する氷河時代の堆積物をノアの洪水によるものとしてその時代をDiluvium(洪積世)とし,現河川ぞいの堆積物の時代をAlluvium(沖積世)としたことにはじまる。現在,欧米では地質時代名としては廃語になっているが,ドイツの文献中には散見される。
哺乳類化石で区分される新生代のなかでは,第四紀は,オーE.Haugが現代型のウシ,ゾウ,ウマの最初の出現をそのはじまりと定義している(1911)。しかし,第四紀は新しく出現した哺乳類のヒトの時代であり,その進化にもとづいて細分されるのがのぞましい。ソ連などでは,はやくから第四紀を人類紀Anthropogene periodと呼んでいる(1920)。しかし,人類に関する資料はいまのところ不十分なために,次のような自然史的事実を補助手段にして第四紀を細分している。それは,各種の動物・植物化石,地形面高度・深度,地盤変位,各種の土壌や地層(火山灰層,レスなど),氷河現象(氷河地形,氷縞など),地球物理・化学的事実(古地磁気,各種の放射年代の素材),古生化学や土質工学的な事実,その他である。
第四紀と第三紀の境界については,以上のような年代区分の原則,あるいは補助手段による判定が試みられ,論議されている。1948年にはロンドンで行われた第18回国際地質学会議で勧告も出されている。それは,(1)その境界は層序学の原則にしたがってひける模式地を選定すること,(2)その境界は海生動物群の変化にもとづいてひかれるべきで,それには原則に最適なイタリアの海成層の分布地域がよく,そこでは同時期の陸成層も明らかにできる,(3)その境界の最下部はカラブリア層(海成層)とその相当層のビラフランカ層(陸成層)が含まれるべきであり,その境界には最初の気候悪化が示されることになろう,というものである。この模式地の選定はイタリア地質学会によって行われているが,最近では,浮遊性微化石の急激な変化,進歩型アウストラロピテクスの出現期にあたる古地磁気の事件(オルドバイ事件)などを指標に,第四紀と第三紀の境界がグローバルに追跡されている。
第四紀を区分する更新世・完新世境界には,現代人Homo sapiensの出現と,その背景となる氷期から温暖な後氷期への気候変化がみられる。更新世の下限の決定と同じように,その境界についても,第8回国際第四紀学連合の会議(1969)によって北ヨーロッパに約1万年前の気候暖化の境界を限定する地域と地層がもとめられている。
第四系は,地球上に最も広く分布し,人間生活にますます密接なかかわりあいをもってきている。日本でも海岸平野や台地などの第四系の分布地域に都市開発,自然開発がすすめられ,一面では環境破壊が起きている。生活と生産のためのよりよい立地条件にあるそれらの土地が,どのようにあるか,という自然史的な側面と,それらはいかにあらねばならないか,という環境科学的な側面の研究を今後いっそう必要とするが,そのどちらも第四紀学の分野に属している。
第四紀学であつかう自然,および自然史の諸要素は関連しあっているが,それぞれの諸要素を対象とする個別科学も関連しあい,総合科学としての第四紀学を構成している。個別科学には,地形学,地質学,火山学,氷河学,陸水学,海洋学,古気候学,古生物(動物,植物とくに花粉やケイ藻)学,生態学,地球物理学,地球化学,土質工学などがある。日本ではこれら諸分科が日本第四紀学会を組織しているが,各国の第四紀学会や研究組織が国際第四紀学連合という国際的な研究組織に加わっている。
→地質時代
執筆者:新堀 友行
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新生代は第三紀と第四紀に分かれ,第四紀はさらに更新世(こうしんせい)と完新世とに分かれる。更新世は,約180万年前に始まり,ホモ属が大きく進化した時代に相当する。考古学的に旧石器時代といわれる時代の大部分が第四紀に属する。完新世は約1万年前に始まり,気候が温暖になり,人類の定住生活が始まった時代で,中石器時代,新石器時代,青銅器時代,鉄器時代および現代とが含まれる。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
「だいしき」とも。新生代第三紀に続く最新の地質時代。約170万年前から現在までの時代。約1万年前を境にして古い更新世と新しい完新世にわけられる。氷河と人類の時代ともよばれる。大規模な気候変動が生じ,氷期には北半球の中緯度地方まで氷河がくり返し拡大し,間氷期には消滅した。このため海水面の低下上昇は100m以上に及んだ。人類はマンモスなど大型動物を狩猟しつつ進化し,更新世末期には新人が出現した。
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…新生代の第三紀の後につづく紀で,地質時代の最後の紀である。第四紀はさらに氷河時代の更新世(洪積世)と後氷期の完新世(沖積世)に区分され,全体が約200万年前から現在までを含む時代である。なお,慣用的に〈だいよんき〉と読まれるが,正しくは〈だいしき〉と読む。…
※「第四紀」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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