日本歴史地名大系 「北口本宮冨士浅間神社」の解説
北口本宮冨士浅間神社
きたぐちほんぐうふじせんげんじんじや
永禄二年(一五五九)七月一八日小山田信有が「諏方御浅間大菩薩」に願文(北口本宮冨士浅間神社文書)を認めて、武運長久を祈って御戸之内金と金襴の戸張一流の寄進を約し、同四年四月二一日には武運長久・無病息災を願い、無事帰陣の際には神馬一疋を奉納すると約した(「小山田信有願文写」甲州古文書)。同五年五月吉日付で病気平癒ほかを「富士浅間大菩薩」に願った同人の願文写(社記)では、前代以来御山より納める「最花銭、以上拾三貫之代物」を寄進、神護寺を建立すること、回廊の造営、御正体として浅間明神の本地仏両菩薩と大日如来の尊形の造立、役所一ヵ所の寄進などを約している。先々代の本殿とされる
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報