大正・昭和期の詩人
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
詩人。東京の生まれ。父尊福(たかとみ)は出雲(いずも)大社の宮司、のち東京府知事。母は父の妾(めかけ)で両国の料亭の娘小川豊。中学時代学校を転々、暮郎(ぼろう)、銀箭峰(ぎんせんぽう)などの号を用いて詩や短歌や俳句を投稿。福士幸次郎、佐藤惣之助(そうのすけ)らと同人誌『テラコツタ』を出し、武者小路実篤(むしゃのこうじさねあつ)の『世間知らず』を称賛、『白樺(しらかば)』同人と交流した。1913年(大正2)父の反対を押し切り赤沢千代子と結婚。『白樺』の衛星誌『エゴ』を推進。18年、第一詩集『自分は見た』(岸田劉生(りゅうせい)の装丁)を刊行。無垢(むく)の心と庶民性と楽天性とが一致、貧困のなかでも人間と自然への賛美を失わず、「楽園の詩人」として徹底した生涯を送った。『虹(にじ)』(1919)、『昔の家』(1929)、『霰(あられ)』(1931)、『蒼海(そうかい)詩集』(1936)などの詩集がある。
[紅野敏郎]
『『千家元麿全集』全二巻(1964、65・弥生書房)』▽『耕治人著『詩人千家元麿』(1957・弥生書房)』
詩人。東京都生れ。父尊福(たかとみ)は〈年の始めのためしとて〉で始まる唱歌《一月一日》の作者で,男爵。17歳ごろから《万朝報》《電報新聞》などの文芸欄に詩,短歌,俳句を投稿した。1912年に佐藤惣之助らと同人雑誌《テラコッタ》を創刊し,武者小路実篤をはじめとする《白樺》系の人たちと交わるようになり,小説,戯曲をも書いたが,16年ごろから詩作に専念するようになった。第1詩集《自分は見た》(1918)に庶民的な生活感情をうたいあげた平明な口語自由詩を収めたが,そこに見られる人道主義の詩精神は以後の詩にも貫かれており,戦後の不如意にもひるまなかった。《虹》(1919),《昔の家》(1929)などの詩集のほか,小説・戯曲集《青い枝》(1920)や随筆集の著書もある。
執筆者:乙骨 明夫
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