安土桃山・江戸時代前期の臨済宗の禅僧。文之玄昌(ぶんしげんしょう)ともいう。日向国(ひゅうがのくに)飫肥南郷外浦(おびなんごうとのうら)に生まれたことから、南浦と号した。上京して東福寺竜吟庵(りゅうぎんあん)の竜喜に師事し、のちに島津氏の要請で大隈(おおすみ)地方の正興寺・安国寺に止住、大竜寺の開山となった。桂庵玄樹(けいあんげんじゅ)に始まる薩南学派(さつなんがくは)とよばれる朱子学を継いで、『四書集註(ししょしっちゅう)』に玄樹が施した訓点を改訂したことで知られる。文之点とよばれるその訓点は、羅山(らざん)点・闇斎(あんさい)点と並び、のちの後藤点などとともに江戸時代を通じて用いられた。後水尾天皇(ごみずのおてんのう)に新注(朱子学による解釈)で「四書」を進講し、島津家の外交文書の起草でも活躍した。鉄砲伝来の様子を伝えた貴重な文章である「鉄炮記」を収めた『南浦文集』3巻がある。
[田尻祐一郎]
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