南浦文之(読み)ナンポブンシ

デジタル大辞泉 「南浦文之」の意味・読み・例文・類語

なんぽ‐ぶんし【南浦文之】

[1555~1620]江戸初期の禅僧日向の人。名は玄昌。島津氏に仕え、薩摩竜源寺大竜寺などに住す。「四書集註」などに和訓(文之点)を施したことで知られる。著作に「南浦文集」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「南浦文之」の意味・わかりやすい解説

南浦文之
なんぽぶんし
(1555―1620)

安土桃山・江戸時代前期の臨済宗の禅僧。文之玄昌(ぶんしげんしょう)ともいう。日向国(ひゅうがのくに)飫肥南郷外浦(おびなんごうとのうら)に生まれたことから、南浦と号した。上京して東福寺竜吟庵(りゅうぎんあん)の竜喜に師事し、のちに島津氏の要請で大隈(おおすみ)地方の正興寺・安国寺に止住、大竜寺の開山となった。桂庵玄樹(けいあんげんじゅ)に始まる薩南学派(さつなんがくは)とよばれる朱子学を継いで、『四書集註(ししょしっちゅう)』に玄樹が施した訓点を改訂したことで知られる。文之点とよばれるその訓点は、羅山(らざん)点・闇斎(あんさい)点と並び、のちの後藤点などとともに江戸時代を通じて用いられた。後水尾天皇(ごみずのおてんのう)に新注(朱子学による解釈)で「四書」を進講し、島津家の外交文書起草でも活躍した。鉄砲伝来の様子を伝えた貴重な文章である「鉄炮記」を収めた『南浦文集』3巻がある。

[田尻祐一郎]

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旺文社日本史事典 三訂版 「南浦文之」の解説

南浦文之
なんぽぶんし

1555〜1620
安土桃山〜江戸時代初期の禅僧
文之玄昌 (ぶんしげんしょう) ともいう。日向(宮崎県)の人。禅宗・朱子学を学び,薩摩(鹿児島県)の島津義弘に招かれ儒書を講じた。薩南学派に属した。また海外貿易のための外交文書の作成にあたった。著書に『南浦文集』『鉄炮記』など。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「南浦文之」の解説

南浦文之 なんぽ-ぶんし

文之玄昌(ぶんし-げんしょう)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「南浦文之」の意味・わかりやすい解説

南浦文之
なんぽぶんし

文之」のページをご覧ください。

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