南都六宗(読み)ナントロクシュウ

デジタル大辞泉 「南都六宗」の意味・読み・例文・類語

なんと‐ろくしゅう【南都六宗】

奈良時代における仏教の代表的な六つ宗派三論宗成実じょうじつ法相ほっそう倶舎くしゃ律宗華厳宗六宗後世の宗派と異なり、経論の研究学派としての性格をもつ。

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精選版 日本国語大辞典 「南都六宗」の意味・読み・例文・類語

なんと‐ろくしゅう【南都六宗】

  1. 〘 名詞 〙 奈良時代、奈良の地で興隆し、以後も行なわれた仏教の宗派。三論成実倶舎法相華厳・律の六宗。この六宗は仏教哲学の研究団体であり、後世の宗派と異なり、一つの寺院の中にいくつもの宗(衆)があり、兼学も行なわれた。興福寺は法相に、東大寺は華厳に、唐招提寺は律に重きをおくという違いがあった。奈良六宗。
    1. [初出の実例]「南都六宗の賓、地に跪き」(出典:葉子十行本平家(13C前)一〇)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「南都六宗」の意味・わかりやすい解説

南都六宗
なんとろくしゅう

奈良時代の六つの学派仏教。すなわち法相(ほっそう)宗、三論(さんろん)宗、倶舎(くしゃ)宗、成実(じょうじつ)宗、華厳(けごん)宗、律(りっ)宗の総称。これらは、唐を中心として発達した仏教が、遣唐使とともに唐に渡った留学僧によってもたらされたものである。その伝来の順は、まず玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)の開いた法相宗を道昭(どうしょう)が伝え、ついで道慈(どうじ)が隋(ずい)の嘉祥大師吉蔵(かじょうだいしきちぞう)より三論宗を学んでこれを伝えた。さらに、これらとともに倶舎論を学ぶ倶舎宗や、成実論を主とする成実宗なども伝わった。これらは仏教の論を中心とした宗で、経を中心としたものは、唐の賢首大師法蔵(けんじゅだいしほうぞう)の開いた『大方広仏華厳経(だいほうこうぶつけごんきょう)』に基づく華厳宗が新羅(しらぎ)の審祥(しんじょう)によって伝えられた。そこで審祥に学んだ良弁(ろうべん)は、聖武(しょうむ)天皇とともに東大寺を創建して、華厳経の本尊の毘盧舎那仏(びるしゃなぶつ)を安置した。とくに聖武天皇は戒律を唐に求めるために興福寺の栄叡(ようえい)と大安(だいあん)寺の普照(ふしょう)を遣わして、揚州の大明寺(だいみょうじ)に住していた鑑真(がんじん)に律宗の将来を促した。鑑真は意を決して743年(天宝2)より五度の遭難を乗り越えて753年に渡来し、日本に律宗を伝えた。

[平岡定海]

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改訂新版 世界大百科事典 「南都六宗」の意味・わかりやすい解説

南都六宗 (なんとろくしゅう)

奈良六宗ともいう。8世紀に官大寺などで研究されていた三論宗,成実(じようじつ)宗,法相(ほつそう)宗俱舎(くしや)宗華厳(けごん)宗律宗の六宗を指す。六宗の成立以前に華厳宗を除く五宗が成立していたことは,718年(養老2)10月の太政官符に〈五宗の学,三蔵の教〉とあることからもうかがわれ,藤原氏祖先の伝記である《家伝》(鎌足伝)も藤原鎌足が飛鳥元興(がんごう)寺に五宗の研究の費用を寄付したと伝えている。以後天平時代の政府の僧侶に対する学問の奨励で,諸大寺には複数の宗の教義を研究する集団の組織が成立し,747年(天平19)ころまでは三論衆,摂論(じようろん)衆(法相宗)などと呼ばれていた。東大寺大仏の鋳造がほぼ完成した748年ころには,東大寺で六宗を学問研究する集団が成立し,衆は宗と改められたようで,これらの宗には衆僧を教育指導する大学頭,小学頭のほかに事務に従事する維那(ゆいな)の3役が当てられ,専用の仏典なども備えられるにいたった。大仏開眼供養にあたって,宗ごとの専用仏典を納めた六宗厨子(本棚)が造られたのも,六宗の成立を示唆している。これは東大寺の六宗の成立を示すものであるが,大安寺,薬師寺なども六宗兼学の大寺であったらしい。806年(大同1)には教理の類似性から成実専攻の僧は三論宗に,俱舎専攻の僧は法相宗に包含され,成実・俱舎の2宗は三論・法相宗の付宗となるにいたった。しかし六宗は仏教伝来以後の学問的成果が集大成されたもので,平安時代の天台・真言二宗成立の基礎となった。
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百科事典マイペディア 「南都六宗」の意味・わかりやすい解説

南都六宗【なんとろくしゅう】

古京の六宗ともいい,六宗は〈りくしゅう〉ともよむ。奈良時代の国家仏教で6派の公認された宗派。奈良付近の寺を中心に研学された。後世の宗派とは性格を異にし,宗は学僧の集団を意味する。寺も一宗一寺ではなく,広く各宗を研学した。法相(ほっそう)宗華厳(けごん)宗倶舎(くしゃ)宗三論宗・成実(じょうじつ)宗・律宗をいう。
→関連項目奈良仏教八宗仏教

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「南都六宗」の解説

南都六宗
なんとろくしゅう

三論・成実(じょうじつ)・法相(ほっそう)・倶舎(くしゃ)・華厳・律の6宗。奈良時代の僧尼が研鑽(けんさん)した六つの仏教教学体系の専攻者集団。宗はもと衆と表記し,平安時代以降の特定の教団を意味するものでなく,一つの教義体系を研鑽する僧尼の集団を意味し,一つの寺院に複数の宗が存在した。東大寺では天平年間(729~749)すでにこの6宗が並存し,僧のなかには複数の宗を兼学する者もいた。806年(大同元)最澄(さいちょう)の上表によりこの6宗に天台宗を加えて,各宗の年分度者(ねんぶんどしゃ)の数が規定された。

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旺文社日本史事典 三訂版 「南都六宗」の解説

南都六宗
なんとろくしゅう

奈良時代,奈良の都におこった仏教の六つの学派
「なんとりくしゅう」とも読む。三論・成実 (じようじつ) ・法相 (ほつそう) ・倶舎 (ぐしや) ・華厳 (けごん) ・律の6宗をいう。「宗」ははじめ「衆」とも書いたように,仏教の哲学的研究の団体であり,後世の宗派と違い,一つの寺院の中にいくつもの衆(宗)があった。興福寺は法相に,東大寺は華厳に,唐招提寺は律に重きを置いた。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「南都六宗」の意味・わかりやすい解説

南都六宗
なんとろくしゅう

奈良時代に行われていた倶舎,成実,律,法相,三論,華厳の各仏教学派の総称。

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世界大百科事典(旧版)内の南都六宗の言及

【八宗】より

…日本古代・中世の仏教宗派の総称。中国の仏教学の興起にともない,仏教伝来から8世紀中ころまでの間に,中国より直接もしくは朝鮮三国を通じて,日本へもたらされた三論・成実(じようじつ)・法相(ほつそう)・俱舎(くしや)・律・華厳(けごん)の6宗(南都六宗)と,9世紀初めに最澄,空海が中国より伝えた天台・真言の2宗(北京(ほつきよう)二宗)をいう。奈良時代には〈宗〉は〈衆〉とも書き,学派を意味し,一つの寺に複数の宗が存在したが,平安時代からは一寺一宗となる傾向がつよく,しだいに教派教団の意味をもちだした。…

※「南都六宗」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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