出典 日外アソシエーツ「事典 日本の大学ブランド商品」事典 日本の大学ブランド商品について 情報
国立大学法人。1871年(明治4)旧名古屋藩評定所(ひょうじょうしょ)を仮病院として発足した仮医学校が起源。その後、幾多の変遷を経て、1920年(大正9)愛知医科大学となる。1931年(昭和6)官立に移管され、名古屋医科大学が設置された。1939年名古屋医科大学を母体に、医学部、理工学部から名古屋帝国大学が創設された。1942年理工学部が理学部と工学部に分離し3学部となった。第二次世界大戦後名古屋大学に改称。1949年(昭和24)、第八高等学校、名古屋高等商業学校、旧制名古屋大学、同附属医学専門部、岡崎高等師範学校を包括して、文学、教育学、法経学、理学、医学、工学の6学部からなる新制国立大学となる。その後、1950年に法経学部が法学部と経済学部に分離独立、1951年農学部が増設、1993年(平成5)教養部が改組され情報文化学部となり、2010年(平成22)時点で9学部体制である。大学院は、文学、教育発達科学、法学、経済学、理学、多元数理科学、医学系、工学、生命農学、国際開発、国際言語文化、情報科学、環境学の13研究科に博士課程が設置されている。附置研究所に環境医学研究所があるほか、全国共同利用研究所として、太陽地球環境研究所、エコトピア科学研究所がある。ほかに学内共同施設としてアイソトープ総合センター、年代測定総合研究センターなどや、学部附属の地震火山・防災研究センター、国際経済政策研究センターなど25の教育研究施設を有する。2004年4月、国立大学法人法の施行に伴い、国立大学法人となる。本部は名古屋市千種(ちくさ)区不老町。
[馬越 徹]
『名古屋大学編・刊『名古屋大学五十年史 部局史、通史』(1989、1995)』
名古屋市千種区不老町に本部を置く旧制帝国大学系の国立総合大学。淵源は旧名古屋藩評定所が1871年(明治4)に開設した仮病院・仮医学校に発する。73年県当局は病院と医学講習所を設立,後者は公立医学校,愛知医学校と改称し,83年甲種医学校として認可された。1901年愛知県立医学校となり,03年県立医学専門学校に発展。20年公立愛知医科大学に昇格,さらに31年官立名古屋医科大学となった。39年これを母体に新設の理工学部をあわせて帝国大学としては国内最後の名古屋帝国大学が創設された。第2次世界大戦後,坂田昌一らによる物理学教室の民主的運営の実践は,閉鎖的な講座制の弊害を改革する試みとして特筆に値する。48年文学部,法経学部の2学部を増設,49年新制大学に改編され,旧制第八高等学校,名古屋経済専門学校,岡崎高等師範学校などを併合し,文学部,教育学部,法経学部,医学部,工学部,理学部の6学部を設置,発足した。その後50年に法経学部が法学部と経済学部に分離,51年農学部,93年情報文化学部の増設をみて現在の9学部となった。
執筆者:田中 征男
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1871年(明治4)開設の仮病院・仮医学校を起源とする。同校の後身である名古屋医科大学を母体として,1939年(昭和14)に名古屋帝国大学が開学。1949年に名古屋帝国大学,1908年設置の第八高等学校,1920年(大正9)設置の名古屋高等商業学校,1945年設置の岡崎師範学校が統合し,国立の名古屋大学として開学。その後,各学部が東山キャンパスへの移転を順次進め,1966年の農学部移転で医学部以外の移転が完了した。1990年代から事実上の大学院重点化を進めており,2017年(平成29)5月現在,10学部(文・教育・法・経済・情報・情報文化・理・医・工・農)の在籍者数1万115人,大学院博士課程(後期課程含む)16研究科の在籍者数6272人。なお情報文化学部は2017年情報学部に改組。野依良治,益川敏英などのノーベル賞受賞者を輩出しており,中部日本最大の大学であるとともに日本を代表する大学の一つである。
著者: 和崎光太郎
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