中国古来の国家的祭祀(さいし)。天の祭り(郊)、祖先の祭り(宗廟(そうびょう))に対し、社稷は土地、農業の祭りとして尊ばれてきた。土地神である社に、穀物神の后稷(こうしょく)が配祀されたことから社稷の語が生じた。社の祭祀は殷(いん)代には「土」と記されており、本来は各部族集団の祭りであったらしいが、のちには農村共同体の祭祀となり、社は庶民集団(邑(ゆう))の単位としても用いられた(書社)。一方、礼の制度によると、社は天子、諸侯、貴族や民間でも祭られるようになっており、とくに諸侯の国都に置かれた社は国人の集合場所でもあり、ここで祈雨などの農業儀礼のほか、国政や軍事の儀式、あるいは裁判なども行われたという。この社は国社とよばれ、諸侯の人民支配のシンボルとなっていった。社稷=国家とする考えはここから生じたものである。戦国時代以降、天地人の思想が形成され、社稷は地神として祭られ、漢代からは長く天子の行うもっとも重要な祭祀となった。これに対し民間の社は私社として禁止されたが、しかし、村落の祭りとしてあとまで続けられた。
[宇都木章]
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…つとに天保年間,大塩平八郎の一党と称して越後柏崎で挙兵した生田万(いくたよろず)をはじめ,平田一門には政治的直接行動への参加の事例が多い。またその反面,歴史・制度学系統の流れが,伝統的な農村共同体の観念に根ざした社稷(しやしよく)の学を掘り起こしていたことも見落としてはならない。また,幕末期の国学がその総体として儒学に逆影響を与え,〈広義の国学を基礎とし国体を宣明し儒学を参酌して〉(徳川斉昭《弘道館記》1838述)という語句にも見られるように,後期水戸学の成立に思想的な刺激をもたらしたことも重要であろう。…
…農業が発達すると,春には五穀豊穣を祈り,秋には収穫に感謝する〈春秋二社〉の祭祀が,社にとっての重要な行事となった。のちに農業神の稷(しよく)と合わせて社稷といい,祖先の宗廟の祭りと並ぶ国家の大切な祭儀とされた。 社の規模は《周礼(しゆらい)》に1社25家と記すが,100家,2500家といったものもあって一定しない。…
※「社稷」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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