宮中儀礼の一つ。視告朔とも書くが,視の字を読まないのが例。中国の制度を継受したものであるが《日本書紀》の天武5年(676)9月朔(1日)条に〈雨降りて告朔せず〉とあるのが文献上の初見である。なお同書の古写本は,告朔を〈ついたちもうし〉と読んでいる。儀制令によると,毎月朔日に天皇が朝堂(大極殿)において,諸司の進奏する公文をみる儀とあり,その公文は,諸司が前月作成した符,移,解,牒(ちよう)などで,それに施行の有無を注したもの,また前月の行事や,あるいは奉写一切経所告朔解(《正倉院文書》)のごとく,同所が前月使用した料紙や用残物を書き上げた収支決算書など,広範囲にわたっている。なお故実書に前月の上日(勤務日数)も注して奏進したとする説があるが,これは月奏で,告朔とは本来別の儀である。告朔の時期は,奈良時代には毎月朔日を定日としたが,平安時代初頭には四孟月(正,4,7,10月の朔日)となり,正月は2日が恒常化し平安時代後期には行われなくなった。
執筆者:米田 雄介
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「ついたちもうし」とも。古代,毎月1日に諸司が朝堂院で前月の政務や官人の勤務状況を記した公文を献上し,天皇に報告を行った儀式。676年(天武5)が史料上の初見。儀制令や「延喜式」によると,弁官が諸司官人を率いて公文を朝庭の案(机)の上におき,大納言が天皇に奏上する。造東大寺司管下でも月別や季別に告朔の文書が作られており,諸国でも郡司が同様の文書を国司に提出した。朝堂院での政務が衰退した平安初期以降は1・4・7・10月の四孟月(もうげつ)のみに行われ,平安後期には廃絶。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
…宮中儀礼の一つ。視告朔とも書くが,視の字を読まないのが例。中国の制度を継受したものであるが《日本書紀》の天武5年(676)9月朔(1日)条に〈雨降りて告朔せず〉とあるのが文献上の初見である。…
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