四所神社(読み)ししよじんじや

日本歴史地名大系 「四所神社」の解説

四所神社
ししよじんじや

[現在地名]山城町大月

大月宮の東おおつきみやのひがしにある旧郷社。祭神は筒男三神・神功皇后・新田義宗伊予いよ川流域村々の総氏神であったという。「阿波志」に四所祠とみえ、山城やましろ谷大月名上県かみあがたにあり、源(大西)頼武の創建とされる。山城谷の三六名がともに祀り、例祭日は九月一九日であった。源頼武は白地はくち(現池田町)城主大西覚養の父で(阿波志)田井たい庄の庄官であったという近藤氏の子孫とも伝える。社伝によれば、もと当社背後の山頂にあったものを大西覚養が現在地に移したという。


四所神社
ししよじんじや

[現在地名]多良木町槻木大師

大師だいし山の西側麓を流れる槻木つきぎ川のすぐ左手の丘陵地にある。祭神は紀州伊都いと郡高野山の丹生明神と同体と伝えられる。球磨郡神社記によれば、四所明神は草創年代不明、正長元年(一四二八)再興、永享七年(一四三五)天氏性弥四郎が拝殿建立、大永二年(一五二二)槻木地頭安部貞親の願により天氏重長が社壇造替、天正一八年(一五九〇)本殿修復とある。四所明神上棟用槌の墨書銘には慶長八年(一六〇三)の神門建立が記される。


四所神社
ししよじんじや

[現在地名]徳島市福島二丁目

福島ふくしま地区東部、住吉島すみよしじま川南岸にある。主祭神は武甕槌命・天児屋根命・斎主神・比売神の四神で、社名もここに由来するものと思われる。旧郷社。古くは四所明神・四所大明神とよばれ、元禄四年(一六九一)御山下絵図では大明神と記される。もとは大亀おおかめ島に鎮座していたのを大同年間(八〇六―八一〇)に現在地に移したとも、文禄年中(一五九二―九六)島が沈んだため移ったともいう(阿波志)


四所神社
ししよじんじや

[現在地名]十津川村大字小原小字平瀬

十津とつ川沿い街道に面した山の斜面にある。ほぼ同一規模の社殿四社を並祀。八幡神社春日神社・四所神社・住吉神社で、ともに一間社春日造・柿葺。春日・四所の両祠は江戸初期の建築

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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