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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
清初の6人の画家の通称。王時敏(おうじびん),王鑑(おうかん),王翬(おうき),王原祁(おうげんき)の四王と呉歴(ごれき),惲格(うんかく)をさす。彼らは相互に緊密な関係があり,清の文人画の基礎を確立した。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
…しかしながら,明末の時点ではすでに浙派に対する呉派文人画の勝利は決定的であり,華北と江南という地方性,文人画家か宮廷画家かといった階層性,そこから生じる表現上の相違などが複雑に交錯した,中国山水画における南北の対立と総合の図式は,華北と江南という枠組みが江南の中の浙派と呉派の対立というように集約され,さらに一方が他方に対して勝利を告げた明末のその時点で実質的に解消していたといってよい。 唐以来の伝統的中国山水画の最後の高みは,呉派文人画が切り開いた構成家と色彩家の総合への方向を完成させた清初の四王呉惲(ごうん)である。石濤,八大山人らの山水画はむしろ揚州八怪が出現する清中期以後,山水画に代わって中国絵画の中心を占めるようになる花卉(かき)雑画との関連において考察されるべきものであろう。…
…こうした傾向を邪道のみ栄える画道の衰微の極と断定し,危機とみなしてその作品をまっこうから否定して,董其昌の理論そのものを信奉し再現する芸術運動を起こしたのが王時敏である。明朝滅亡後,郷里の江蘇太倉に隠居していた王時敏は,同郷の友人王鑑を好伴侶とし,孫の王原祁(おうげんき),王鑑の発見した王翬(おうき),王翬の同郷の友人呉歴,親友の惲寿平(うんじゆへい)(四王呉惲)ら清初の6大家と呼ばれる地縁血縁の強固な間柄で結ばれた勢力を結集して運動を展開した。彼らは中国絵画史の主流中の主流,南北二派論にいう嫡系の正統派を自称して,伝統を倣古,古画をまねるという形式で継承し実践してみせた。…
※「四王呉惲」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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