王原祁(読み)オウゲンキ(英語表記)Wáng Yuán qí

デジタル大辞泉 「王原祁」の意味・読み・例文・類語

おう‐げんき〔ワウ‐〕【王原祁】

[1642~1715]中国、初の画家太倉江蘇省)の人。あざな茂京もきょう、号は麓台。祖父王時敏に画を学ぶ。宮廷画家として正統南宗画なんしゅうが伝統を守る。四王呉惲ごうんの一人。婁東派ろうとうはの祖。著「雨窓漫筆」など。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「王原祁」の意味・わかりやすい解説

王原祁 (おうげんき)
Wáng Yuán qí
生没年:1642-1715

中国,清代初期の文人画家。婁東(ろうとう)(江蘇省太倉)の人。字は茂京。号は麓台(ろくだい)。王時敏の孫。幼少より祖父や王鑑より南宗画(なんしゆうが)の伝統的山水画法を学び,清初の文人画風の典型をつくった。康熙9年(1670),29歳で進士に及第。内廷供奉として内府所蔵の書画鑑識にあたり,《佩文斎(はいぶんさい)書画譜》の編纂を主宰した。画論書《雨窗(うそう)漫筆》で竜脈,開合,起伏など山水画の造形理念を論ずる。四王呉惲(しおうごうん)のうちの最年少者。弟子たちに唐岱(とうたい),黄鼎(こうてい),王昱(おういく),王学浩,盛大士,黄均らがおり,婁東派と呼ぶ。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

百科事典マイペディア 「王原祁」の意味・わかりやすい解説

王原祁【おうげんき】

中国,清初の画家。江蘇の人。四王呉【うん】の一人。字は茂京,号は麓台。王時敏の孫。書画譜館総裁をはじめ要職を歴任し,清朝翰林図画院南宗画を導入した。黄公望風の浅絳(せんごう)山水を得意とし,詩文にもすぐれ,〈芸林三絶〉と称された。彼の開いた画派を婁東(るとう)派と呼ぶ。著書に《雨窓漫筆》《麓台題画録》がある。

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「王原祁」の意味・わかりやすい解説

王原祁
おうげんき
(1642―1715)

中国、清(しん)代初期の画家。清初の六大家、いわゆる四王呉惲(しおうごうん)の一人。同じ四王の一人王時敏(おうじびん)の孫で、四王中の最年少者。江蘇(こうそ)省太倉(たいそう)の人。字(あざな)は茂京(もきょう)、麓台(ろくだい)と号す。祖父に画学の指導を受け、黄公望の画風を学んだ。康煕(こうき)9年(1670)の進士で、知県より昇進して宮廷画家として活躍。また内廷所蔵書画の鑑定の任にあたり、のちに勅撰(ちょくせん)『佩文斎(はいぶんさい)書画譜』の編輯(へんしゅう)総裁の要職につき、全100巻を完成させた。詩文にも優れ、「芸林三絶」と称され、著書に『兩窓漫室(りょうそうまんしつ)』『麓台跋画録(ばつがろく)』各1巻などがある。王翬(おうき)の虞山(ぐざん)派に対し彼の一門を婁東(るいとう)派といい、清朝の中・後期山水画に大きな影響を及ぼした。

[星山晋也]


出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「王原祁」の解説

王 原祁 (おう げんき)

生年月日:1642年8月18日
中国,清初期の文人画家
1715年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「王原祁」の意味・わかりやすい解説

王原祁
おうげんき

四王呉惲」のページをご覧ください。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の王原祁の言及

【四王呉惲】より

…中国,清代初期の正統派文人画家を代表する王時敏,王鑑,王翬(おうき),王原祁(おうげんき),呉歴,惲寿平の6人。清初六大家。…

【佩文斎書画譜】より

…中国,清の康熙帝勅撰の書画文献集成。主編者は孫岳頒だが実際の責任者は王原祁(おうげんき)。〈佩文〉は康熙帝の書斎名である。…

※「王原祁」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android