王時敏(読み)オウジビン

デジタル大辞泉 「王時敏」の意味・読み・例文・類語

おう‐じびん〔ワウ‐〕【王時敏】

[1592~1680]中国末・初の画家太倉江蘇省)の人。あざな遜之そんし。号は烟客えんかく西廬せいろ老人。董其昌とうきしょう師事し、正統南宗画なんしゅうが山水画を確立した。四王呉惲ごうん一人。著「王奉常書画題跋」など。

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精選版 日本国語大辞典 「王時敏」の意味・読み・例文・類語

おう‐じびん ワウ‥【王時敏】

中国、明末清初の文人画家。四王呉惲(ごうん)の一人。字(あざな)は遜之。号は烟客、西廬老人。古法に則した山水画にすぐれ、官学派の祖となる。(一五九二‐一六八〇

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百科事典マイペディア 「王時敏」の意味・わかりやすい解説

王時敏【おうじびん】

中国,清初の画家。江蘇の人。四王呉【うん】の一人。字は遜之,号は煙客,西廬老人。董其昌(とうきしょう)に師事,その典型主義を受け継いで黄公望風の山水を描いた。門下王【き】,孫の王原祁らがおり,後世の官学派の祖となった。詩文もすぐれ,書は八分(はっぷん)を得意とした。著書に《西廬題跋》《王奉常書画題跋》など。
→関連項目王鑑呉歴

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改訂新版 世界大百科事典 「王時敏」の意味・わかりやすい解説

王時敏 (おうじびん)
Wáng Shí mǐn
生没年:1592-1680

中国,清代初期の画家。婁東(ろうとう)(江蘇省太倉)の人。字は遜之(そんし)。号は烟客(えんかく),西廬老人ほか。明末の宰相王錫爵の孫,翰林編集王衡の子。父祖功績により太常寺少卿となったので王奉常と呼ばれる。明滅亡後は故郷に隠退した。詩文,書ともに秀でた才を示したが,もっとも絵にすぐれた。董其昌(とうきしよう)に師事して南宗画(なんしゆうが)を学び,元末四大家ことに黄公望の画風を慕い,よく山水画を描き,清初の文人画壇の指導的役割を果たした。門下の王翬(おうき)や孫の王原祁(げんき)らとともに四王呉惲(しおうごうん)の一人。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「王時敏」の意味・わかりやすい解説

王時敏
おうじびん
(1592―1680)

中国、明(みん)末清(しん)初の文人画家。いわゆる四王呉惲(しおうごうん)(ほかに王鑑(おうかん)、王翬(おうき)、王原祁(おうげんき)、呉歴(ごれき)、惲格(うんかく))の一人で、その筆頭にあげられる清代文人画の祖。字(あざな)は遜之(そんし)、号は煙客、西廬(せいろ)老人、西田主人など。江蘇(こうそ)省太倉(たいそう)の名家(吏部尚書王錫爵(おうしゃくしゅく)の孫)の出で、明朝に仕え、崇禎(すうてい)(1628~44)の初め大常寺少卿(しょうきょう)(奉常)になったため王奉常ともいわれる。清朝には仕えず、故郷に退居して後進を指導した。博学で詩文ならびに書をよくし、とくに書は八分(はっぷん)に優れた。画は董其昌(とうきしょう)に師事し、とくに黄公望(こうこうぼう)に傾倒し、研究してその画風を受け継いだ。弟子に王翬、孫に王原祁が出た。おもな著に『西廬題跋(だいばつ)』『王奉常書画題跋』などがある。

[星山晋也]


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「王時敏」の意味・わかりやすい解説

王時敏
おうじびん
Wang Shi-min

[生]万暦20(1592)
[没]康煕19(1680)
中国,明末,清初の画家。婁東 (ろうとう。江蘇省太倉) の人。字は遜之,号は烟客,西田主人,晩年に西廬老人。父祖が高官であったため奉常となり,王奉常とも呼ばれた。清初六大家 (→四王呉 惲 ) のうち最年長者。董其昌の薫陶を受けて宋元画を習い,おもに黄公望の画風を研究し,平明な山水画風を完成した。同郷の王鑑とともに清代呉派文人画の基礎を確立。他方,名画を多数収集し後進をも指導したので,画壇に大きな勢力をもった。現存作品に『 仿山樵山水図』 (1665,上海博物館) ,『杜甫詩意画冊』 (北京,故宮博物院) などがある。また主著に『西田集』『西廬画跋』。

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世界大百科事典(旧版)内の王時敏の言及

【王鑑】より

…明末に廉州(広東省合浦)太守となったので王廉州と呼ばれる。幼少より家蔵の古書画を学び,同郷の友王時敏とともに董其昌(とうきしよう)に師事し,南宗画(なんしゆうが)の正系を受け継ぐ清初の正統派文人画壇の指導的役割を果たした。四王呉惲(しおうごうん)の一人。…

【四王呉惲】より

…中国,清代初期の正統派文人画家を代表する王時敏,王鑑,王翬(おうき),王原祁(おうげんき),呉歴,惲寿平の6人。清初六大家。…

【清代美術】より

…理論には忠実ではなかったが,実作では董其昌画の末梢的な要素を増殖していったといえるであろう。こうした傾向を邪道のみ栄える画道の衰微の極と断定し,危機とみなしてその作品をまっこうから否定して,董其昌の理論そのものを信奉し再現する芸術運動を起こしたのが王時敏である。明朝滅亡後,郷里の江蘇太倉に隠居していた王時敏は,同郷の友人王鑑を好伴侶とし,孫の王原祁(おうげんき),王鑑の発見した王翬(おうき),王翬の同郷の友人呉歴,親友の惲寿平(うんじゆへい)(四王呉惲)ら清初の6大家と呼ばれる地縁血縁の強固な間柄で結ばれた勢力を結集して運動を展開した。…

※「王時敏」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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