鳥取県東部,日本海に臨み,千代(せんだい)川の下流域とその支流の袋川,野坂川などの流域に広がる平野。鳥取市の北東部を占める。北部の海岸線に沿って鳥取砂丘が広がり,その内側には低湿な三角州が発達する。三角州上には千代川や袋川に沿って自然堤防が細長くのび,千代川の堆積が十分進まないところには湖山(こやま)池のような潟湖が残っている。千代川の現流路に沿って幅約2.5kmの範囲は地盤の標高が一段と低く,洪水の痕跡を示す旧流路の蛇行跡がみられる。平野とその周辺の利用は古くから進められ,周辺の丘陵上には,大陸文化と深いかかわりがあると思われる岡益(おかます)の石堂や,彩色壁画をもつ梶山古墳(史)などの遺跡が多く,条里制の遺構も一部の低湿地を除いてほぼ平野全域にみられる。また支流袋川の小扇状地をなす平野南東部は比較的高燥で,古代因幡の国府や国分寺などはここに立地していた。16世紀後半,久松山に築かれた鳥取城の城下は低湿地に位置したため洪水の被害が多く,近世になって袋川の河道の付け替えや池沼,旧河道跡の埋立てなどによって整備された。明治以降第2次大戦前まで,自然堤防上や砂丘地,周辺山麓部で桑の栽培が盛んとなったが,戦後は衰退した。現在,砂丘地は天然記念物に指定された地域を除いて畑地に,その内側の沖積地は大部分が水田に利用され,周辺の山麓部では明治末に導入された二十世紀梨の栽培が盛んである。鳥取平野は軟弱な沖積層が厚いため地盤が弱く,1943年の鳥取地震では大きな被害をうけた。地盤沈下現象も認められている。
執筆者:豊島 吉則
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
鳥取県東部、千代(せんだい)川の中・下流部の平野。広義では中流部の国中(くになか)平野も含む。平野の原形は間氷期と後氷期の溺(おぼ)れ谷で、大路(おおろ)山や面影(おもかげ)山、西部の小丘群などの孤立丘(こりつきゅう)はかつての島であり、湖山(こやま)池は砂丘と千代川の埋積作用から埋め残された海跡湖。平野の高位面には広く条里遺構が残る。千代川西岸の賀露(かろ)―野坂(のさか)間にはかつて東大寺領高庭庄(たかばのしょう)が置かれ、また東部の袋(ふくろ)川微扇状地には因幡(いなば)国府が置かれた。西岸の水田は天正(てんしょう)年間(1573~1592)に鹿野(しかの)城主亀井茲矩(かめいこれのり)が掘削した大井手用水(おおいでようすい)により、東岸は山白(やましろ)川用水により灌漑(かんがい)されている。平野の中心は県都の鳥取市。
[岩永 實]
… 低地は砂丘,砂州,沖積平野からなる。海岸線に沿って大小さまざまの砂丘が分布しているが,とくに倉吉平野と鳥取平野の海岸部にある北条砂丘と鳥取砂丘は最も規模が大きく,内部に岩盤や大山ロームより古い古砂丘が伏在しているため,起伏に富んだ砂丘地形を形成している。弓ヶ浜は長さ17.5km,幅3~5km,日本最大の湾央砂州で,〈大天橋〉と称揚される。…
※「鳥取平野」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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