泉福寺(読み)せんぷくじ

精選版 日本国語大辞典 「泉福寺」の意味・読み・例文・類語

せんぷく‐じ【泉福寺】

  1. 大分県東国東郡国東町にある曹洞宗の寺。山号は妙徳山。文中四年(一三七五)創建。開山は無着妙融(むじゃくみょうゆう)。天正九年(一五八一大友宗麟のために焼かれた。慶長一〇年(一六〇五細川忠興が再建。

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日本歴史地名大系 「泉福寺」の解説

泉福寺
せんぷくじ

[現在地名]国東町横手

山号は妙徳山。曹洞宗無著派の九州の中心寺院。本尊釈迦如来。一度壊すと修理ができないと伝える通称蹴上げの石段を登り、総門を入ると山門・仏殿(県指定文化財)があり、その背後に本堂・庫裏開山かいざん(国指定重要文化財)が並ぶ。仏殿の扁額裏銘には大永六年(一五二六)と記すが、大半が近世の建築で棟札銘から元禄七年(一六九四)に修理したことが判明する。修理による若干の変更がうかがえるが、室町時代後期の本格的禅宗様仏殿として九州では珍しいといわれる。内部に安置する厨子も室町時代の禅宗様の好例で、仏殿同様県指定文化財。

永和元年(一三七五)無著妙融を開山として始まる。豊後泉福寺無著融禅師伝(寺蔵)によると無著は大隅の生れで日向大慈寺(現未詳)の剛中玄柔のもとで出家、応安七年(一三七四)佐賀関神崎さがのせきこうざき(現佐賀関町)永泉えいせん寺を建立している。


泉福寺
せんぷくじ

[現在地名]明科町南陸郷 寺村

大穴おおあな山の山腹にあるさい川筋の古刹。山号は大穴山、本尊は薬師如来、真言宗高野山遍照光へんしようこう院の末寺である。

寺伝によると、寿永二年(一一八三)木曾義仲の開基、高野山雲海僧正の開山となっているが、創建は更に古く、大穴庄の祈願寺として建てられたものと思われる。

「信府統記」に「大穴山泉福寺 高野山遍照光院末寺ナリ、池田組寺村ニアリ、当寺開基年数知レス」とある。当時この寺の末寺が安曇あずみ郡に多く、池田いけだ渋田見しぶたみ(現北安曇郡池田町)の道光山法洞ほうとう寺、なか村の宮下山専光せんこう寺、筑摩ちくま川手かわて上生坂かみいくさか(現生坂村)の生宝山照明しようみよう寺、大町おおまち佐野さの村(現北安曇郡白馬はくば村)の立光山東徳とうとく寺、池田組小泉こいずみ村の泉松山高松こうしよう寺などがあった。


泉福寺
せんぷくじ

[現在地名]桶川市川田谷

川田谷かわたや地区の南西、荒川東岸にある。東叡山勅願院円頓坊と号し、天台宗。本尊は地蔵菩薩。寺伝によれば、天長六年(八二九)淳和天皇の勅願により、慈覚大師円仁が関東に天台学を広めるために八宗兼学の道場を開いたことに始まり、土佐律師信尊を中興開山とし、最盛時には二三の塔頭があったという。川田谷談所ともよばれ、応永二二年(一四一五)五月一八日の即位法門(滋賀県叡山文庫蔵)の奥書に「於此法門者、古河田谷ノ聖人ノ相伝分ニ被申上」の一文がみえる。


泉福寺
せんぷくじ

[現在地名]高千穂町岩戸

むらにある。宝池山と号し、浄土真宗本願寺派。本尊阿弥陀如来。古くは天台宗浄源じようげん寺と称していたといわれ、文明四年(一四七二)京都の公卿浄尊が当地にきて浄土真宗に改めたと伝える。元禄四年(一六九一)の妙専寺由緒書(妙専寺文書)によれば、延岡妙専みようせん寺の末寺であった。正徳四年(一七一四)の高千穂小侍宗門改帳(工藤家文書)に旦那名がみえる。


泉福寺
せんぷくじ

[現在地名]渥美町山田

山田やまだの東方泉福寺山(二七五・二メートル)の中腹にある。吉祥山と号し、天台宗。本尊十一面観世音菩薩。この辺りの字名を谷太郎やたろうという。当郡最古の寺院の一つで、普門ふもん寺・東観音とうかんのん(現豊橋市)長仙ちようせん(現田原町)などとともに行基開創の寺院と伝えられる。泉福寺内史寺領記(当寺蔵)に「天平二十年朝廷観音尼為福田和地荘」とあり、観音尼は郡司渥美重国の娘といわれ、重国によってこの頃創建されたと伝える。


泉福寺
せんぷくじ

[現在地名]岩井市大谷口

大谷口おおやぐちの東端、菅生すがお沼を望む地に所在。東谷山補陀落院と号し天台宗。本尊阿弥陀如来。寺伝によると、神亀元年(七二四)行基によって開創。行基作の聖観音像を本尊とし、法相宗であった。境内は八千坪、堂塔伽藍が並び、末寺は一三、三六坊に及んだ。のち寺勢が衰えたが、建保六年(一二一八)、俊によって再興、天台宗に改め、阿弥陀如来を本尊として今日に至る。


泉福寺
せんぷくじ

[現在地名]村松町矢津 堂屋敷

早出はいで川筋の字堂屋敷どうやしきにある。真言宗智山派、鞍馬山と号し、本尊延命地蔵菩薩。寛延三年(一七五〇)の村松領各宗由緒帳(村松町役場蔵)によれば、正慶元年(一三三二)快久を中興開山とする。現在の堂宇は、明治七年(一八七四)の書上(正円寺蔵)によれば、安政四年(一八五七)に塚野太郎右衛門の再建で、二五〇年前には上杉川かみすぎかわ地内にあったという。


泉福寺
せんぷくじ

[現在地名]里美村大中 泉沢

里川の東側の山麓に位置する。曹洞宗、医王山と号する。本尊は釈迦如来。寺伝によれば、もと正長元年(一四二八)天翁順貞の開山で岩城一族白土右馬之介の菩提寺の曹洞宗朋沢山松安しようあん寺があったが、寛文の社寺改革で破却された。跡地に貞享元年(一六八四)小木津おぎつ(現日立市)より泉福寺を移し、小中こなか折橋おりはし両村の佐川氏の檀那寺としたという。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「泉福寺」の意味・わかりやすい解説

泉福寺
せんぷくじ

大分県国東(くにさき)市国東町(くにさきまち)横手(よこて)にある曹洞(そうとう)宗の寺。妙徳(みょうとく)山と号する。本尊は釈迦牟尼(しゃかむに)仏。1375年(天授1)飯塚(いいづか)城主田原氏能(たはらうじたか)の母無伝尼(むでんに)の発願によって創建されたと伝える。開山は無著妙融(むじゃくみょうゆう)。当時は七堂伽藍(がらん)を完備した大道場であり、曹洞禅の九州大本山として栄えた。1581年(天正9)大友義鎮(よししげ)の兵火にかかって祖師堂(開山堂)を残して焼失したが、1605年(慶長10)領主細川忠興(ただおき)が堂宇を再建した。現在の堂舎の多くは江戸初期に再興されたもの。開山堂は1394年(応永1)の建立で、1636年(寛永13)に古材を用いて縮小再建された。開山堂、仏殿および所蔵する「宋版宏智録」は国重要文化財に指定されている。

[菅沼 晃]


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事典・日本の観光資源 「泉福寺」の解説

泉福寺

(長野県安曇野市)
信州の古寺百選」指定の観光名所。

出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報

世界大百科事典(旧版)内の泉福寺の言及

【美里[町]】より

…真国荘の鎮守は真国宮(まくにのみや)にある丹生(にゆう)神社であった。長谷宮の泉福寺の梵鐘(重要文化財)には安元2年(1176)〈勧進入唐三度聖人重源〉の銘がある。【上田 雅子】。…

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