山号は妙徳山。曹洞宗無著派の九州の中心寺院。本尊釈迦如来。一度壊すと修理ができないと伝える通称蹴上げの石段を登り、総門を入ると山門・仏殿(県指定文化財)があり、その背後に本堂・庫裏や
永和元年(一三七五)無著妙融を開山として始まる。豊後泉福寺無著融禅師伝(寺蔵)によると無著は大隅の生れで日向大慈寺(現未詳)の剛中玄柔のもとで出家、応安七年(一三七四)
寺伝によると、寿永二年(一一八三)木曾義仲の開基、高野山雲海僧正の開山となっているが、創建は更に古く、大穴庄の祈願寺として建てられたものと思われる。
「信府統記」に「大穴山泉福寺 高野山遍照光院末寺ナリ、池田組寺村ニアリ、当寺開基年数知レス」とある。当時この寺の末寺が
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
大分県国東(くにさき)市国東町(くにさきまち)横手(よこて)にある曹洞(そうとう)宗の寺。妙徳(みょうとく)山と号する。本尊は釈迦牟尼(しゃかむに)仏。1375年(天授1)飯塚(いいづか)城主田原氏能(たはらうじたか)の母無伝尼(むでんに)の発願によって創建されたと伝える。開山は無著妙融(むじゃくみょうゆう)。当時は七堂伽藍(がらん)を完備した大道場であり、曹洞禅の九州大本山として栄えた。1581年(天正9)大友義鎮(よししげ)の兵火にかかって祖師堂(開山堂)を残して焼失したが、1605年(慶長10)領主細川忠興(ただおき)が堂宇を再建した。現在の堂舎の多くは江戸初期に再興されたもの。開山堂は1394年(応永1)の建立で、1636年(寛永13)に古材を用いて縮小再建された。開山堂、仏殿および所蔵する「宋版宏智録」は国重要文化財に指定されている。
[菅沼 晃]
出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報
…真国荘の鎮守は真国宮(まくにのみや)にある丹生(にゆう)神社であった。長谷宮の泉福寺の梵鐘(重要文化財)には安元2年(1176)〈勧進入唐三度聖人重源〉の銘がある。【上田 雅子】。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
各省の長である大臣,および内閣官房長官,特命大臣を助け,特定の政策や企画に参画し,政務を処理する国家公務員法上の特別職。政務官ともいう。2001年1月の中央省庁再編により政務次官が廃止されたのに伴い,...
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