歌人。明治23年9月18日、群馬県西群馬郡上郊(かみさと)村(現高崎市)に生まれる。生家は繭・生糸の仲買を兼ねる小農であった。少年の日、北海道の流刑地で獄死した祖父の秘密を知って文学への思いを抱く。高崎中学を出て上京、歌人伊藤左千夫(さちお)のもとで牛舎の労働に従おうとしたが、その庇護(ひご)で一高、東京帝国大学哲学科を卒業。『アララギ』初期同人となり、初め清新な叙情的歌人として出発した。長野県の諏訪(すわ)高等女学校・松本高等女学校教師、校長などを務めたのちふたたび上京、法政大学予科、明治大学文芸科の教鞭(きょうべん)をとりながら『アララギ』の編集に携わる。1925年(大正14)第一歌集『ふゆくさ』を刊行。その後『往還集』(1930)、『山谷(さんこく)集』(1935)、『六月風(ろくがつかぜ)』(1942)などの歌集を重ね、昭和初期から、戦争に向かう日本の一時代を背後に知識人としての生き方の苦渋を歌う現実主義的な独自の歌風を展開し注目された。第二次世界大戦中、中国戦線を視察、『韮菁(かいせい)集』(1946)を刊行、東京空襲後群馬県に疎開、敗戦を迎える。
戦後1951年(昭和26)帰京、『山下水(やましたみず)』(1948)、『自流泉(じりゅうせん)』(1953)などと時代を凝視する思索的世界を深め、昭和歌壇を指導する老大家の一人となる。また、『万葉集』研究者として『万葉集私注』20巻(1949~56)の著があるほか、『短歌小径』などの歌論集も多い。86年文化勲章を受章。
[近藤芳美]
目の前の谷の紅葉(もみじ)のおそ早もさびしかりけり命それぞれ
『近藤芳美著『土屋文明』(1980・桜楓社)』▽『米田利昭著『土屋文明』(1966・勁草書房)』
大正・昭和期の歌人,国文学者
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
歌人。群馬県生れ。東大哲学科卒。松本高女校長などをへて法大教授,明大教授を歴任した。中学時代《アカネ》に歌や小品を投じ,1909年上京して伊藤左千夫宅に寄寓,《アララギ》に参加した。清新な抒情で注目される一方,第3次《新思潮》に加わり小説にも筆をとった。18年以後長野県で教職に専念したが,24年帰京,翌年《ふゆくさ》を刊行。30年《アララギ》の編集責任者となり,《山谷(さんこく)集》(1935)などの小市民的な人生詠で若い知識層に多大な影響を与えた。戦後疎開先での作を収める《山下水》(1948),《自流泉》(1953)で骨太な生活詠に新境地をひらき,《万葉集私注》20巻(1949-56)を完成。その後《青南(せいなん)集》正・続(1967),《続々青南集》(1973)を刊行,放胆で自由なよみぶりに円熟の境を示した。万葉研究のほか《伊藤左千夫》(1962)など多くの著書がある。〈ふるさとの盆も今夜(こよい)はすみぬらむあはれ様々に人は過ぎにし〉(《山谷集》)。
執筆者:本林 勝夫
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出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
…20年には茂吉が〈短歌に於ける写生の説〉を書き,子規以来の写生論を展開した。26年赤彦が亡くなり,再び茂吉が編集発行人となり,30年には土屋文明に代わり,33年1月には25周年記念特集号を出した。文明は現実を直視して,生活や思想を追求するところに新生面を開いた。…
※「土屋文明」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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