土屋文明(読み)ツチヤブンメイ

デジタル大辞泉 「土屋文明」の意味・読み・例文・類語

つちや‐ぶんめい【土屋文明】

[1890~1990]歌人。群馬の生まれ。伊藤左千夫に師事。処女歌集「ふゆくさ」で認められ、「アララギ」の中心歌人として活躍。文化勲章受章。歌集「山下水」「自流泉」、研究書「万葉集私注」など。

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精選版 日本国語大辞典 「土屋文明」の意味・読み・例文・類語

つちや‐ぶんめい【土屋文明】

  1. 歌人。群馬県出身。伊藤左千夫に師事。東京帝国大学卒業後、長野県の高等女学校教師、校長、法政大学・明治大学教授等を歴任。処女歌集「ふゆくさ」でその地位を築き、「アララギ」の中心歌人として活躍。短歌の伝統に新風を与えつづけた。万葉集の研究にも業績がある。芸術院会員。文化勲章受章。著作「山谷集」「万葉集私注」など。明治二三~平成二年(一八九〇‐一九九〇

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「土屋文明」の意味・わかりやすい解説

土屋文明
つちやぶんめい
(1890―1990)

歌人。明治23年9月18日、群馬県西群馬郡上郊(かみさと)村(現高崎市)に生まれる。生家は繭・生糸の仲買を兼ねる小農であった。少年の日、北海道の流刑地で獄死した祖父の秘密を知って文学への思いを抱く。高崎中学を出て上京、歌人伊藤左千夫(さちお)のもとで牛舎の労働に従おうとしたが、その庇護(ひご)で一高、東京帝国大学哲学科を卒業。『アララギ』初期同人となり、初め清新な叙情的歌人として出発した。長野県の諏訪(すわ)高等女学校・松本高等女学校教師、校長などを務めたのちふたたび上京、法政大学予科、明治大学文芸科の教鞭(きょうべん)をとりながら『アララギ』の編集に携わる。1925年(大正14)第一歌集『ふゆくさ』を刊行。その後『往還集』(1930)、『山谷(さんこく)集』(1935)、『六月風(ろくがつかぜ)』(1942)などの歌集を重ね、昭和初期から、戦争に向かう日本の一時代を背後に知識人としての生き方の苦渋を歌う現実主義的な独自の歌風を展開し注目された。第二次世界大戦中、中国戦線を視察、『韮菁(かいせい)集』(1946)を刊行、東京空襲後群馬県に疎開、敗戦を迎える。

 戦後1951年(昭和26)帰京、『山下水(やましたみず)』(1948)、『自流泉(じりゅうせん)』(1953)などと時代を凝視する思索的世界を深め、昭和歌壇を指導する老大家の一人となる。また、『万葉集』研究者として『万葉集私注』20巻(1949~56)の著があるほか、『短歌小径』などの歌論集も多い。86年文化勲章を受章。

近藤芳美

 目の前の谷の紅葉(もみじ)のおそ早もさびしかりけり命それぞれ

『近藤芳美著『土屋文明』(1980・桜楓社)』『米田利昭著『土屋文明』(1966・勁草書房)』

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20世紀日本人名事典 「土屋文明」の解説

土屋 文明
ツチヤ ブンメイ

大正・昭和期の歌人,国文学者



生年
明治23(1890)年9月18日(戸籍=明治24年1月21日)

没年
平成2(1990)年12月8日

出生地
群馬県西群馬郡上郊村保渡田(現・群馬郡群馬町)

別名
号=蛇床子,榛南大生

学歴〔年〕
東京帝大文科大学哲学科心理学専攻〔大正5年〕卒

主な受賞名〔年〕
日本芸術院賞(第9回・文芸部門)〔昭和27年〕「万葉集私注」,日本歌人クラブ推薦歌集(第1回)〔昭和30年〕「自流泉」,読売文学賞(第19回・詩歌俳句賞)〔昭和42年〕「青南集」「続青南集」,文化功労者〔昭和59年〕,現代短歌大賞(第8回)〔昭和60年〕「青南後集」,東京都名誉都民〔昭和61年〕,文化勲章〔昭和61年〕,群馬県名誉県民〔昭和62年〕

経歴
中学時代から短歌を作り、明治42年に「アララギ」同人に。大正14年第1歌集「ふゆくさ」を出版、斎藤茂吉と「アララギ」の共同編集にあたり、昭和9年編集兼発行人となる。一方では教壇にも立ち、大正9年長野県諏訪高女校長、11年松本高女校長、13年法政大予科教授などを歴任し、昭和27〜35年明大文学部教授を務めた。その作風は短歌の精神主義にとどまらず、客観的な現実凝視を特質とし、「山谷集」(昭10)で歌壇に確固とした地位を確立。以後、「韮菁集」「山下水」「青南集」「続青南集」「続々青南集」など刊行。その歌論は「短歌入門」に詳しく、「万葉集私注」(全20巻)にみられる万葉研究の業績も大きい。平成8年群馬町に県立土屋文明記念文学館が完成した。

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改訂新版 世界大百科事典 「土屋文明」の意味・わかりやすい解説

土屋文明 (つちやぶんめい)
生没年:1890-1990(明治23-平成2)

歌人。群馬県生れ。東大哲学科卒。松本高女校長などをへて法大教授,明大教授を歴任した。中学時代《アカネ》に歌や小品を投じ,1909年上京して伊藤左千夫宅に寄寓,《アララギ》に参加した。清新な抒情で注目される一方,第3次《新思潮》に加わり小説にも筆をとった。18年以後長野県で教職に専念したが,24年帰京,翌年《ふゆくさ》を刊行。30年《アララギ》の編集責任者となり,《山谷(さんこく)集》(1935)などの小市民的な人生詠で若い知識層に多大な影響を与えた。戦後疎開先での作を収める《山下水》(1948),《自流泉》(1953)で骨太な生活詠に新境地をひらき,《万葉集私注》20巻(1949-56)を完成。その後《青南(せいなん)集》正・続(1967),《続々青南集》(1973)を刊行,放胆で自由なよみぶりに円熟の境を示した。万葉研究のほか《伊藤左千夫》(1962)など多くの著書がある。〈ふるさとの盆も今夜(こよい)はすみぬらむあはれ様々に人は過ぎにし〉(《山谷集》)。
執筆者:

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百科事典マイペディア 「土屋文明」の意味・わかりやすい解説

土屋文明【つちやぶんめい】

歌人。群馬県生れ。東大哲学科卒。伊藤左千夫に師事し,《アララギ》同人。1925年に歌集《ふゆくさ》を刊行,続く《往還集》《山谷集》などで即物的傾向をもつ文明調を確立。戦後には《山下水》《自流泉》などの歌集がある。斎藤茂吉没後のアララギ派を指導。《万葉集私注》などの研究書もある。1986年文化勲章。
→関連項目岡井隆近藤芳美

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「土屋文明」の意味・わかりやすい解説

土屋文明
つちやぶんめい

[生]1890.9.18. 群馬,上郊
[没]1990.12.8. 東京
歌人。第一高等学校を経て 1916年東京大学哲学科卒業。一高時代から学資の提供を受けた伊藤左千夫の門に入り,『アララギ』最年少の同人となり,東大在学中は第3次『新思潮』に参加。卒業後長野県下の高等女学校で教頭,校長を歴任するが,中学校への転任を命じられ辞職。上京して 24年法政大学教授。 25年歌集『ふゆくさ』で注目された。次いで斎藤茂吉に代り『アララギ』の編集を担当,写生説に加えて即物主義的な傾向をみせ,いわゆる「文明調」を完成。『往還集』 (1930) ,『山谷集』 (34) ,『小安集』 (43) などを経て,『山下水』 (48) ,『自流泉』 (53) を発表。『万葉集私注』 (20巻,49~56) で 53年日本芸術院賞を受けた。芸術院会員。 86年文化勲章受章。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「土屋文明」の解説

土屋文明 つちや-ぶんめい

1890-1990 大正-昭和時代の歌人。
明治23年9月18日生まれ。一高在学中に「アララギ」同人となる。大正14年第1歌集「ふゆくさ」を出版。昭和5年斎藤茂吉にかわり「アララギ」の編集発行人。法大・明大教授をつとめた。芸術院会員。61年文化勲章。平成2年12月8日死去。100歳。群馬県出身。東京帝大卒。歌集に「山谷(さんこく)集」「山下水(やましたみず)」など。著作に「万葉集私注」。
【格言など】この言葉も亡(ほろ)びるのかと嘆かひしこともひそかに吾は思はむ(「山下水」)

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367日誕生日大事典 「土屋文明」の解説

土屋 文明 (つちや ぶんめい)

生年月日:1890年9月18日
昭和時代の歌人;国文学者
1990年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の土屋文明の言及

【アララギ】より

…20年には茂吉が〈短歌に於ける写生の説〉を書き,子規以来の写生論を展開した。26年赤彦が亡くなり,再び茂吉が編集発行人となり,30年には土屋文明に代わり,33年1月には25周年記念特集号を出した。文明は現実を直視して,生活や思想を追求するところに新生面を開いた。…

※「土屋文明」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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