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土本典昭(読み)ツチモトノリアキ

百科事典マイペディアの解説

土本典昭【つちもとのりあき】

映画監督。岐阜県生れ。日本の代表的なドキュメンタリー映画作家。1952年早大事件で同大学を除籍。岩波映画をへて1957年よりフリー。国鉄のPR映画《ある機関助士》(1963年)でデビュー。《水俣――患者さんとその世界》(1971年),《不知火海》(1975年)など水俣病をテーマにした作品をはじめ,原子力船むつの新母港建設反対運動を取材した《海盗り 下北半島・浜関根》(1984年),第2次世界大戦中に九州に強制連行された朝鮮人労働者の生活の実態を描いた《はじけた鳳仙花――わが筑豊わが朝鮮》(1984年),内戦のアフガニスタンを取材した《よみがえれフレーズ》(1989年)などの問題作を発表した。
→関連項目小川紳介

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

土本典昭 つちもと-のりあき

1928-2008 昭和後期-平成時代の映画監督。
昭和3年12月11日生まれ。共産党にはいり,昭和27年早大事件で早大を除籍される。31年岩波映画にはいり,翌年フリーとなる。37年国鉄のPR映画「ある機関助士」でデビュー。40年から水俣病をテーマに製作をかさね,46年「水俣―患者さんとその世界」で世界環境映画祭グランプリを受賞。平成20年6月24日死去。79歳。岐阜県出身。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

土本典昭
つちもとのりあき
(1928―2008)

映画監督。昭和3年12月11日、現在の岐阜県土岐(とき)市に生まれる。早稲田(わせだ)大学文学部の学生時代に早大事件(1952)に関係して除籍となり、日本共産党の山村工作隊に参加するが逮捕され、2年の執行猶予となる。1956年(昭和31)に岩波映画製作所に入り1963年『ある機関助士』で監督になる。すぐフリーになり、社会派ドキュメンタリー映画作家として、映画やテレビで重要な作品を発表する。なかでもっとも大きな仕事は1971年に完成した『水俣(みなまた) 患者さんとその世界』と、この作品に引き続いてつくり続けた水俣病を扱った一連の作品である。彼はこの映画によって、水俣病の実態と患者たちの生活や公害反対闘争を広く知らせただけでなく、被害を自覚していない水俣近海の人々に自覚を促す旅を続けたり、実態の明らかでない病気を学術的に解明する映画を自分でつくるなど、生涯この問題に取り組み続けた。他にも『原発切抜帳』(1982)、『よみがえれカレーズ』(1989)など、多くの優れた作品がある。平成20年6月24日没。[佐藤忠男]

資料 監督作品一覧

ある機関助士(1963)
ドキュメント 路上(1964)
留学生チュア・スイ・リン(1965) 
シベリア人の世界(1968)
パルチザン前史(1969)
水俣 患者さんとその世界(1971)
水俣レポート 実録 公調委(1973)
水俣一揆 一生を問う人々(1973)
不知火海(1975)
医学としての水俣病 第部 資料・証言篇(1975)
医学としての水俣病 第部 病理・病魔篇(1975)
医学としての水俣病 第部 臨床・疫学篇(1975)
水俣病 その20年(1976)
わが街わが青春 石川さゆり水俣熱唱(1978)
海とお月さまたち(1980)
水俣の図 物語(1981)
原発切抜帖(1982)
海盗り 下北半島・浜関根(1984)
はじけ鳳仙花 わが筑豊わが朝鮮(1984)
水俣病 その30年(1987)
ひろしまのピカ(1987)
よみがえれカレーズ(1989)
もうひとつのアフガニスタン カーブル日記 1985年(2003)
みなまた日記 甦える魂を訪ねて(2004)
『土本典昭著『逆境のなかの記録』新装版(2004・未来社) ▽土本典昭著『映画は生きものの仕事である――私論・ドキュメンタリー映画』新装版(2004・未来社) ▽土本典昭フィルモグラフィ展2004実行委員会編『ドキュメンタリーとは何か――土本典昭・記録映画作家の仕事』(2005・現代書館) ▽土本典昭・石坂健治著『ドキュメンタリーの海へ――記録映画作家・土本典昭との対話』(2008・現代書館) ▽小川紳介著・山根貞男編『映画を穫る――ドキュメンタリーの至福を求めて』増補改訂版(2012・太田出版)』

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世界大百科事典内の土本典昭の言及

【亀井文夫】より

…〈先入観に合わせた画面を撮るな。その場に立ったときの印象,思いを,正しく絵にすべきだ〉と主張したそのドキュメンタリストの精神は,《パルチザン前史》(1969)から《水俣》シリーズに至る土本典昭(1928‐ )や,三里塚闘争記録(《三里塚》シリーズ)から《ニッポン国古屋敷村》(1982)などを通して稲と日本人そのものの原生活へと踏みこんだ小川紳介(1935‐92)に継承されている。【広岡 勉】。…

【シネマ・ベリテ】より

…また,アメリカではリチャード・リーコックとロバート・ドルーによる〈リビング・シネマ〉から,D.A.ペネベーカーやデビッド・メースルズ,アルバート・メースルズ兄弟らに至る〈ダイレクト・シネマ〉の動きがあり,こうした〈カメラをもつ男〉たちによる現実肉迫のドキュメンタリー映画全般をひっくるめてシネマ・ベリテと呼ぶようになっている。その意味では,これは《三里塚》シリーズ(1968‐73),《にっぽん国古屋敷村》(1983)の小川紳介,《パルチザン前史》(1969),《水俣》シリーズ(1971‐82)の土本典昭の方法にもつながるものともいえよう。【山田 宏一】。…

【ドキュメンタリー映画】より

…映画での〈ドキュメンタリー〉という呼称は,そもそもアメリカの記録映画作家ロバート・フラハティがサモア島の住民の日常生活を記録した映画《モアナ》(1926)について,イギリスの記録映画作家であり理論家であるジョン・グリアソンJohn Grierson(1898‐1972)が,1926年2月の《ニューヨーク・サン》紙上で論評したときに初めて使ったことばで,それまでは〈紀行映画travel film(travelogue)〉を指すことばだったフランス語のdocumentaireに由来している。広義には,劇映画に対して,〈事実〉を記録する〈ノンフィクション映画〉の総称で,ニュース映画,科学映画,学校教材用映画,社会教育映画,美術映画,テレビの特別報道番組,あるいはPR映画,観光映画なども含めてこの名で呼ばれるが,本来は(すなわちグリアソンの定義に基づけば),〈人間の発見と生活の調査,記録,そしてその肯定〉を目ざしたフラハティから,〈映画は生きものの仕事〉であり〈事実や人間との出会い〉であるという姿勢を貫いてカメラを対象のなかに〈同居〉させた《水俣》シリーズ(1971‐76)の土本典昭(つちもとのりあき)(1928‐ )や《三里塚》シリーズ(1968‐73)の小川紳介(1935‐92)らにつらなる方法と作品,すなわち〈実写〉とは異なる〈現実の創造的劇化〉が真の〈ドキュメンタリー〉である。
[ドキュメンタリーの父]
 映画の歴史は〈実写〉から始まり,1895‐96年ころから撮られ始めたニュース映画とは別に,1890年代の末期にはアメリカ,フランスその他の国で短編の実写映画がつくられ,1900年代に入ってアフリカの旅行記録やアルプスの登山記録もつくられた。…

※「土本典昭」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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