温泉寺(読み)おんせんじ

日本歴史地名大系 「温泉寺」の解説

温泉寺
おんせんじ

[現在地名]北区有馬町

愛宕あたご山北麓にある黄檗宗寺院で、有馬山と号する。本尊薬師如来。もと常喜山温泉寺と号し、京都智積ちしやく院末の真言宗新義派の寺院で(摂津名所図会)、本堂薬師堂を中心に境内には湯泉とうぜん神社(湯山三所権現)や別当権現坊などがあったが、度重なる火災や明治の廃仏毀釈で衰微。薬師堂東にあり奥院であった黄檗宗清凉せいりよう院が寺名を継いで現在に至る。行基の創建で、承徳元年(一〇九七)の洪水で荒廃していたのを建久二年(一一九一)大和吉野高原たかはら(現奈良県川上村)の僧仁西が再興、享禄元年(一五二八)・天正四年(一五七六)に火災で焼失したが、天正一三年に羽柴秀吉の室北政所の喜捨により復興したと伝える(摂津名所図会)

享徳元年(一四五二)四月、有馬ありまに入湯した京都相国しようこく寺の瑞渓周鳳は、「温泉寺律院」の僧が湯治客から銭を徴収して絵解きをしていた「寺記」三巻を聴聞している。それによると、行基は手厚く看護した路傍の病人が湯山ゆのやまの石造薬師像の化身であったことを知り、温泉湧出地の傍らにあった石像を本尊として温泉寺を創建した。しかしその後、湯山を大洪水が襲って石像は地底に埋没、以来それを拝することはできなくなったという。また地獄の閻魔王宮で行われる法華会にたびたび招請されていた清澄せいちよう(現宝塚市)の慈心坊尊恵は、四度目の招請時に閻魔王から天皇の法華経寄進を求められ、閻魔王宮の東門にあたる温泉寺如宝堂下に、三重の金銀箱に納めた金字紺紙法華経一部を埋めたとも伝えていた(「臥雲日件録」同月一八日条)。尊恵の閻魔王宮招請譚はもともと清澄寺に伝わる「冥途蘇生記」にみえるもので、それによると天皇らへの如法経寄進勧進は安元元年(一一七五)のことという。


温泉寺
おんせんじ

[現在地名]城崎町湯島

城崎温泉街の南西、大師だいし山の山麓から中腹を寺域とする。末代山と号し、本尊十一面観音立像(国指定重要文化財)高野山真言宗。大永八年(一五二八)三月書写の温泉寺縁起帳(当寺蔵)によると、天平年間(七二九―七四九)道智の開創。本尊の観音像はもと大和泊瀬はつせ(現奈良県桜井市)長楽ちようらく寺の本尊で、疫病流行のため配流され「田結庄下谿浦」に漂着(この場所をのち観音浦とよぶ)、はじめ「児島」に草堂を建てて安置、のち当寺が造立されたという。縁起はともかくとして、当地の温泉湧出は古くから知られ、平安時代には都人の入湯もあった(→城崎温泉。こうした環境のなかで寺堂が建立され(本尊は平安時代中頃の作とされる)、信仰を得たのであろう。経緯は不明だが、安元二年(一一七六)二月日の八条院領目録(山科家古文書)に「但馬国河合・温泉両寺」とみえ、河合かわえ(河会)(現日高町)とともに八条院領となっている。


温泉寺
おんせんじ

[現在地名]山ノ内町大字平穏

もと密教寺院であったが、天文二三年(一五五四)佐久郡前山まえやま(現佐久市)貞祥ていしよう寺住持節香徳忠により復興され曹洞宗に改め、武田信玄を開基とした。永禄七年(一五六四)信玄は横湯よこゆの地を寄進した。山号は横湯山、本尊釈迦如来。元和四年(一六一八)九月二八日、松代城主松平忠昌の代官稲垣忠左衛門が旧例のごとく温泉寺を守護不入の地とした。寛永一一年(一六三四)二月三日真田信之は当寺の要求により、沓野くつの村のうち、原新田はらしんでんの開発の許可を与えている(温泉寺文書)


温泉寺
おんせんじ

[現在地名]下呂町湯之島

温泉街の東、中根なかね山中腹にある。医王山と号し、臨済宗妙心寺派。本尊は薬師如来。もとは禅昌ぜんしよう(現萩原町)末。明治初年の寺院明細帳(県立歴史資料館蔵)によれば、もと西方さいほう寺と称したが荒廃し、禅昌寺六世玉雲により再興され温泉寺となったとある。「飛州志」では寛文年中(一六六一―七三)に禅昌寺八世剛山祖金が建立したとしている。寛文一一年湯之島ゆのしま村武川久兵衛が自分持山内の地を剛山に寄進し温泉寺を建立させた(「寺建立地寄進につき記録」武川文書)


温泉寺
おんせんじ

[現在地名]大館市二井田 贄の里

二井田にいだ集落の低い河岸段丘上にある。曹洞宗で、巌松山と号し、本尊は釈迦如来。松原まつばら(現秋田市)補陀ほだ寺の末寺で開祖は秋田実季の子で補陀寺五世、あるいは一二世といわれる天室宗竜という。

江戸後期の思想家安藤昌益の墓といわれるものが現存、同寺所蔵の過去帳に、「昌安久益信士宝暦十二年拾月下村昌益老」とあり、墓碑に「空 宝暦十二年昌安久益信士位」とみえる。


温泉寺
おんせんじ

[現在地名]熱海市上宿町

いと川沿いのおお湯間歇泉の傍らにある。清水山と号し、臨済宗妙心寺派。本尊は如意輪千手観音。開山は授翁宗弼(藤原藤房)といわれ、寛永七年(一六三〇)雲居希膺が熱海を訪れて中興したと伝える。一説には南北朝時代の「空華集」などにみえる広済接待こうさいせつたい(湯治客宿泊施設)の跡ともいわれる。寺内には雲居の九条袈裟・持鉢・念珠などが保存される。


温泉寺
おんせんじ

[現在地名]諏訪市湯の脇

下桑原しもくわばら村の北部、字北垣外きたがいとにあり、山号は臨江山。臨済宗妙心寺派の寺で、本尊は釈迦牟尼仏。高島藩第二代藩主諏訪忠恒が開基となり、開山は泰嶺玄未。忠恒以後の高島藩主の菩提寺である。

寺領黒印は三〇石であったが、第三代藩主忠晴の時に一〇〇石、寛文一三年(一六七三)には稟米四〇〇石に改められた。現本堂は高島城の能舞台を移したものである。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

デジタル大辞泉プラス 「温泉寺」の解説

温泉寺〔兵庫県〕

兵庫県豊岡市大師山にある寺院。高野山真言宗別格本山。山号は末代山。城崎温泉を開いた道智上人が天平年間に開創したと伝わる。本尊の十一面観音立像は奈良の長谷寺にある観音像と同木同作で、国の重要文化財に指定。城崎温泉の守護寺として知られる。山上の奥院へはロープウェイで上ることができる。

温泉寺〔岐阜県〕

岐阜県下呂市、中根山の中腹にある寺院。臨済宗妙心寺派。山号は医王山。寛文年間の創建と伝わる。下呂温泉とかかわりが深く、本尊の薬師如来が白鷺に化身して温泉の湧出を知らせたという伝説が残る。

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事典・日本の観光資源 「温泉寺」の解説

温泉寺

(長野県下高井郡山ノ内町)
信州の古寺百選」指定の観光名所。

温泉寺

(長野県諏訪市)
信州の古寺百選」指定の観光名所。

出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報

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