大内守護(読み)おおうちしゅご

精選版 日本国語大辞典 「大内守護」の意味・読み・例文・類語

おおうち‐しゅご おほうち‥【大内守護】

〘名〙 皇居守護する職。平安中期以後設置。累代武家世襲して承久の乱頃まで存続した。
吾妻鏡‐文治四年(1183)六月四日「大内守護事 頼兼申状。尤不便。他人結番可守護歟」

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デジタル大辞泉 「大内守護」の意味・読み・例文・類語

おおうち‐しゅご〔おほうち‐〕【大内守護】

皇居を守護した職名。平安中期以後に設置され、武家が世襲して承久の乱ころまで存続した。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「大内守護」の解説

大内守護
おおうちしゅご

平安宮の内裏(大内)を警固する職。平安中期~鎌倉前期,多田源氏の頼光流が世襲した。源頼光の頃,はじめて衛府に代わって武士棟梁が内裏を警固するようになったらしく,源頼政にも在職徴証があり,1183年(寿永2)には子の頼兼が任命された。88年(文治4)頼兼は自力のみでは任に堪えないとして鎌倉幕府へ援助を請い,そのため御家人の一部が頼兼を補佐して警固することとなった。これを禁裏守護番ともいう。1219年(承久元)父頼兼から本職を継承した頼茂(よりもち)は,後鳥羽上皇追討をうけ自殺。以後,本職は設置されず,平安宮内裏も27年(安貞元)廃絶した。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「大内守護」の意味・わかりやすい解説

大内守護
おおうちしゅご

禁裏を守護する番役。平安時代中期以降,近衛府兵衛府などの無力化に伴って設置され,源頼光が大内守護となって以来源氏が世襲した。鎌倉幕府成立後は,頼朝が御家人に結番勤仕させてこれを助けさせたが,承久の乱の際,大内守護であった頼政の孫頼茂が院の軍勢に襲われて自殺。以後大内守護の名は見えず,廃絶したと考えられている。

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世界大百科事典 第2版 「大内守護」の意味・わかりやすい解説

おおうちしゅご【大内守護】

平安中期~鎌倉前期,大内(大内裏中の内裏)警衛を管轄する職称。起源は明瞭でないが,《尊卑分脈》に源頼光を〈大内守護〉とするのが初例。以来頼光の子孫の世襲になったと思われ,平安末期源頼政の在職が確認される。ついで木曾義仲の在京中には,頼政の子頼兼が大内裏の守護にあたった。鎌倉幕府成立以後も頼兼の大内守護は継続されたが,1188年(文治4)頼兼は,自己の兵力のみでは任に耐えぬと幕府・朝廷に訴え,北陸の御家人が添えられた。

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