大官大寺跡(読み)だいかんだいじあと

日本歴史地名大系 「大官大寺跡」の解説

大官大寺跡
だいかんだいじあと

[現在地名]明日香村大字小山

小山こやまの集落南東、なかツ道(近世の橘街道)推定線の西に接した水田地にあった古代寺院。国指定史跡。平城京左京六条四坊に移された大安だいあん(現奈良市)の前身で、付近にとう大安寺だいあんじ金焼かなやけ講堂こうどう阿弥陀堂あみだどうなどの関係小字名が残る。寺跡は藤原京左京一〇条四坊にあたる。聖徳太子熊凝くまごり村に建てた道場に始まり、舒明天皇一一年、東国の民をもって百済くだら川の傍らに移して百済大寺とし、封戸三〇〇戸を賜った。しかしこの時に子部こべ社の木を切払ったので怨により金堂九重塔焼失。天武天皇二年、小紫美濃王・小錦下紀臣訶多麻呂を造寺司とし、百済から高市たかいち夜部やべ村に移して高市たけち大寺と号し、同六年に大官大寺と改称した(日本書紀・大安寺伽藍縁起并流記資財帳・三代実録)。以来、飛鳥時代における中枢的大寺として重きをなした。

天武天皇一四年(六八五)九月二四日、天皇不予のため誦経が行われ、同年一二月一六日・朱鳥元年(六八六)一月九日には寺僧への寄進があり、同年五月一四日に食封七〇〇戸・出挙稲三〇万束を寺に施入、同年一二月一九日、無遮大会が設けられた(日本書紀)。なお「新抄格勅符抄」に大安寺に癸酉年に三〇〇戸、丙戌年に七〇〇戸を施入したというのは、天武天皇元年・朱鳥元年のことか。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

国指定史跡ガイド 「大官大寺跡」の解説

だいかんだいじあと【大官大寺跡】


奈良県高市郡明日香村小山にある寺院跡。飛鳥川の右岸、天香久(あまのかぐ)山の南に広がる平坦地に所在する。由来は舒明(じょめい)天皇が発願した百済(くだら)大寺にさかのぼり、この寺を高市に移して高市大寺と称したあと、改めて大官大寺と号し、平城遷都後は平城京左京六条・七条四坊に移されて大安寺と呼ばれるようになった。この寺は百済大寺・高市大寺の法灯を継ぐもので、大規模な堂塔の土壇が良好な状態で遺存していることなどから、1921年(大正10)に国の史跡に指定された。発掘調査が1974年(昭和49)から9次にわたって行われた結果、中軸線上に南から中門、金堂、講堂が並び、金堂の前方に塔が建ち、中門から出た回廊は塔のある内庭を包んで金堂に取り付くが、東と西の回廊は、さらに北に延びて講堂の背後で閉じるという特異な伽藍(がらん)配置になっていることが明らかになった。回廊は基壇が低いため、大部分礎石が残り、桁行13尺、梁行14尺の単廊で、東西約144m、南北約197mの規模である。近畿日本鉄道橿原線ほか橿原神宮前駅からコミュニティバス「豊浦」下車、徒歩約10分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

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