大歳神社(読み)おおとしじんじや

日本歴史地名大系 「大歳神社」の解説

大歳神社
おおとしじんじや

[現在地名]福知山市字天座 登尾

天座あまざの東北の谷登尾のぼりおにあり、北方には大江おおえ山がそびえる。祭神は大歳神、旧村社。

「丹波志」には「大歳大明神 天座村本村ニ建(中略)村中産神」とあり、その神宮寺普光ふこう寺であった。

当社は大般若経五七六巻(市指定文化財、藤原時代中期一三六巻、藤原末期―鎌倉初期六四巻、鎌倉時代三七二巻、室町時代三巻、江戸時代一巻)を蔵する。縁起書によると、昔源頼光が大江山の鬼賊を退治する時戦勝を祈願し、大願成就を感謝して頼光以下六人の主従が筆写したと伝える。


大歳神社
おおとしじんじや

[現在地名]浜松市天王町

旧村社。近世は牛頭天王社。祭神は素戔嗚尊・大歳神・稲田媛尊・大己貴命など七神。「延喜式神名帳に載る長上郡大歳オホトシノ神社」に比定される。創立年は未詳であるが、元和八年(一六二二)の再建棟札が残る。江戸期の朱印高四石(正保郷帳など)。寛保三年(一七四三)下堀しもぼり村の天野あまの神社、天王新田てんのうしんでん村の熊野神社、中田なかだ村の八劔やつるぎ神社などを合祀して四ヵ村の総氏神となった。


大歳神社
おおとしじんじや

[現在地名]西区宮浦

唐泊からとまり港の北の小高い丘の中腹にある。旧村社。祭神は大歳神・素戔嗚尊・大市姫命・奥津彦命・奥津姫命・天知加流美豆姫命。「続風土記」では大歳明神社、「続風土記拾遺」では大歳大明神社とする。「三代実録」元慶四年(八八〇)三月二二日条によれば筑前国正六位上の賀津万神・大歳神・託神・神などが位を授けられた記事があるが、脱文があるため授けられた位については記載がない。「続風土記」は、大歳神は遠賀おんが郡にも存在するが、今津いまづに近く、警衛の官人が多く来住して神名が名高いことから位を授けられたのであろうとし、当社が元慶四年に従五位下を授与されたと推測する。


大歳神社
おおとしじんじや

[現在地名]琴平町上櫛梨

大歳に鎮座。上櫛梨の産土神で祭神は比売多田良伊須気余理比売命。旧村社。社名から考えて祭神は大年神でないかという疑問が、「古事記伝」大年神の条の「諸国に大歳神社と云ふか多きは、此の神を斎き奉れるなるべし云々」を引用して諸書に述べられている。大麻おおさ神社(現善通寺市)の縁起に「景行天皇二三年、神櫛皇子討伐悪魚、者大事可祷国神、時二老翁忽然来、皇子問曰、此地有神乎、答曰有二神、一曰大麻神、一曰大歳神、祭此神、討悪魚容易、言畢不見」とあるので、当社も大麻神社に匹敵する古社であったと推定される。


大歳神社
おおとしじんじや

[現在地名]橿原市石川町字宮ノ本

石川いしかわ池北隣に鎮座。社地から東方和田わだ町にかけて続く丘陵蘇我馬子が塔を建てたという大野おおの丘とされる。祭神は大歳神・大山咋おおやまくい命・天児屋根あめのこやね命。旧村社。近世には山王権現と称した(棟札)


大歳神社
おおとしじんじや

[現在地名]西京区大原野灰方町

善峰よしみね川近くに鎮座。「延喜式」神名帳に載る乙訓おとくに郡の「大歳オホトシノ神社大、月次新嘗」に比定される。旧村社。祭神は大歳神。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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