大清水村(読み)おおそうずむら

日本歴史地名大系 「大清水村」の解説

大清水村
おおそうずむら

[現在地名]植木町清水きよみず

うち村の北に続く豊前街道沿いの村で、東は色出しきで今藤いまふじの両村、北は玉名たまなひろ(現鹿本郡鹿央町)、西は大清水山(金比羅山)を隔てて山本やまもと仁王堂におうどう村・玉名たまな上広かみひろ(現鹿央町)に接する。上大清水村ともいう。南端を平原ひらばる村・鈴麦すずむぎ村を経て高瀬たかせ往還に出る砥石といし越の道が通る。村内に多数の清泉があり、これらは集まって千田ちだ川となる。村名もこれに由来すると思われる。

中世は山本庄に属し、正平一三年(一三五八)五月日の山本庄大清水村田畑屋敷注進状(正観寺文書)がある。熊耳山正観しようかん寺は菊池武光が一四世紀半ばに隈府わいふ(現菊池市)城下に建てた臨済宗の寺院であるが、大清水村にも中尾山正観寺が建てられ、現地支配の中心となっていた。注進状によると、「田地分」は名田分と考えられる中野間分三町三反二丈中(うち用作一反)・弥次郎丸分一町六反一丈中・五郎丸分一町六反中・孫三郎跡分一町五反中という一種の均等分田体制をとっている部分と(中野間分は二名分に相当する)、又太郎・左衛門次郎・一安浄善給・用作とされているそれぞれ一―五反のいわば一色田的な田地計一町三反三丈、それに観音堂免・天神免・比丘尼給・法橋跡・香阿弥莚打給・又六などの免給田一町一(二)反よりなる。


大清水村
おおしみずむら

[現在地名]高岡市戸出大清水といでおおしみず

庄川の下流左岸にあり、庄川の支流千保せんぼ川が西部を北流する。西は戸出町、北は春日吉江かすがよしえ村、南は吉住よしずみ村。北陸街道(巡見使道)が通る。寛永九年(一六三二)の古高新開指上高物成帳(川合家文書)吉住村の項に「此所者大清水御城やしき・町屋敷」として新開高五六石余が記される。また戸出新町の項に同六年開一五石余に対し「清水町二郎兵衛」の名がみえ、清水町は当地のことと考えられる。「三壺記」に御小人次郎兵衛(四ッ井次郎兵衛)が越後国で盗賊を行ったが、当村で発覚、自害したとある。正保郷帳には大清水町とみえ、新田高四六石余、田方二町四反余・畑方六反余。寛文一〇年(一六七〇)の村御印では草高三〇六石・免三ツ三歩、同二年の新田高五石、小物成は地子銀一〇二匁、鮎川役三匁(うち一匁出来)、鱒役五匁(うち一匁出来)であった(三箇国高物成帳)


大清水村
おしみずむら

[現在地名]伊吹町大清水

藤川ふじかわ村の南西、伊吹山南麓扇状台地に位置する。北部の神戸ごうどに発する政所まんどころ川が集落内を南流。北国脇往還が北部を東西に通り、神戸には民家もあり茶店もあったという。集落の北から東側にかけて農業用水の神戸溜・平野ひらの溜・しも溜・しん溜がある。古くは大泉おおいずみ村と称し、泉神社蔵の永享六年(一四三四)の鐘銘に「坂田北郡伊福庄内大泉郷」とみえる。村名は泉神社鎮座の丘麓より清泉が湧出することによる(坂田郡志)


大清水村
おおしみずむら

[現在地名]浄法寺町大清水

山内さんない川と安比あつぴ川の流域に位置し、北は大森おおもり村。天和二年(一六八二)の惣御代官所中高村付に村名があり、高二二石余、七ヵ年平均の免は一ツ七分三厘六毛。元禄十郡郷帳では角崎かどさき村に入るとある。元文四年(一七三九)の福岡通絵図(盛岡市中央公民館蔵)では蔵入高二一四石余・給所高二石余とある。「邦内郷村志」では蔵分二一七石余、家数六一・人数二八三、馬一五六で、「此地多木地挽漆匠、伝云浄法寺椀、太田・駒ケ峯・大清水・中佐井・荒屋村通数十村産之、売買于諸国、当時出佳器也」とある。享和三年(一八〇三)の仮名付帳では「ヲホシツ」と訓じ、「福岡より鹿角江之駅場」とあり、家数四九、うち本村一八で、枝村は柿木平かきのきたい一〇・川崎かんさき六・下藤しもふじ四・山内一一。


大清水村
おしみずむら

[現在地名]柏崎市大清水

北陸道の鉢崎はつさき宿から南に入る山村で頸城くびき郡に属する。大泉だいせん寺の大清水の観音さんで知られる。文禄(一五九二―九六)頃の頸城郡絵図に「大清水観音」とあるだけで村名の記載はなく、道は柿崎かきざき(現中頸城郡柿崎町)から上平うわだいら村を経て大清水観音に描かれている。この上平村は近世の大清水村と推定され、知行人は大清水氏、地味下、本納一〇・五石、縄高一六・五三石、役家数三、その人数一一とある。


大清水村
おおしみずむら

[現在地名]天童市大清水

南東成生なりゆう村、北は大町おおまち村と今町いままち村に接し、集落の北を押切おしきり川が北西流する。寛永一三年(一六三六)の保科氏領知目録の高七四七石余。正保郷帳では田方五三二石余・畑方二一四石余。元禄一三年(一七〇〇)の免定(天童市役所蔵)は六二二石余で、一二五石余の減少はみだれ川・押切川の洪水による川欠けのためである。安永六年(一七七七)の村明細帳(細矢文書)によると反別田二〇町一反余・畑三〇町七反余、家数四六・人数二五一(男一四〇・女一一一)、年々四四五文の運上金を上納して乱川・押切川で鮭漁をしている。


大清水村
おおしみずむら

[現在地名]弘前市大清水・広野ひろの一―二丁目

弘前城下の南東にあたり、北は小比内さんぴない村、東は門外かどけ村、東南は清水森しみずもり村、北西は取上とりあげ村に続く。大鰐おおわに山地西股にしまた山付近に源を発する大和沢おおわさわ川の伏流水が、湧水となって現れる地点が多いため村名となったと思われる。地元ではこの清水をシツコとよぶ。

寛文四年(一六六四)の高辻帳に平賀庄新田として村名があり、村高は二三七・三石。貞享四年(一六八七)検地帳によれば、村高六〇・三六九石、うち田方五・五九八石、畑方五四・七七一石


大清水村
おおしみずむら

[現在地名]大山町大清水

熊野くまの川支流くろ川の源流に近い左岸にある。南は大双嶺おおぞうれい村・千長原せんながはら村、北の下流部は小坂こさか村。ここから南に長棟ながと村に通じるひのき峠がある。正保郷帳の高二三石余、田方三反余・畑方一町二反余。寛文一〇年(一六七〇)の村御印の草高二八石、免五ツ五歩、小物成は山役六一匁・炭竈役二六匁・鮎川役一匁(出来)とある(三箇国高物成帳)


大清水村
おおしゆうずむら

[現在地名]湖東町大清水

愛知川右岸、小田苅こたかり村の北、小池こいけ村の西に位置し、北は南清水みなみしゆうず村に接する。集落北東に大清水城跡と推定される土塁が残存する。元禄郷帳に「南清水村之枝郷大清水村」とみえ高四三〇石余。江戸時代を通じて本村南清水村の枝郷として彦根藩領であったが、文久二年(一八六二)上知。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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