日本古代の令制官司の一つ。中務省に属す。左右の別があり,それぞれ頭,助,大・少允,大・少属各1人計6人のいわゆる四等官の下に大舎人800人,使部20人,直丁2人が分属した。その任務は大舎人を管轄し,彼らの分番(勤務の交代組分け),宿直,仮使(休暇や遣使),容儀の事をつかさどることであった。大舎人には四,五位の子孫で内舎人(うどねり)とならないものや,六~八位の子からとって充てられた。これは当人にとっては官人としての振出しを意味するが,左右あわせて1600人という数は天皇親衛軍として五衛府に劣らぬ重要な意味をもったものである。奈良時代後半しかわからないが,長官には諸王,真人(まひと)すなわち当時皇親といわれた人々の就任が圧倒的に多く,皇親勢力の一つの拠り所であったことがうかがえる。しかし,平安時代に入ると795年(延暦14)大舎人の選任を五位以上の子孫に限り,808年(大同3)左右を併せて一となし,定員半減,さらに819年(弘仁10)には減員して400人とした。ここに至って定数は元の4分の1となって実質を失い,以後は儀礼的存在と化した。
→舎人(とねり)
執筆者:黛 弘道
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令(りょう)制官司の一つで中務(なかつかさ)省の被官。673年(天武天皇2)に大舎人、686年(朱鳥1)に左・右大舎人がみえる。養老(ようろう)職員令によると、左・右の大舎人寮に分かれ、職員はそれぞれ頭(かみ)1人、助(すけ)1人、大・少允(じょう)各1人、大・少属(さかん)各1人、大舎人800人などからなる。頭は大舎人を指揮して天皇に供奉(ぐぶ)することを任とし、大舎人の名簿、交替勤務の組分け、宿直のことなどを掌(つかさど)った。大舎人は、五位以上の子孫、または内六位以下八位以上の嫡子のなかで優秀な者をあてる規定であった。頭は従(じゅ)五位上相当官であるが、738年(天平10)の大井王をはじめ諸王の任ぜられる例が多い。808年(大同3)に左・右両寮が合併されて大舎人寮となり、819年(弘仁10)には大舎人の数も400人に半減された。
[柳雄太郎]
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