デジタル大辞泉
「大道寺友山」の意味・読み・例文・類語
だいどうじ‐ゆうざん〔ダイダウジイウザン〕【大道寺友山】
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だいどうじ‐ゆうざん【大道寺友山】
- 江戸前・中期の兵学者。山城国(京都)の人。号は重祐、通称孫九郎。友山は晩年の号。初め松平忠輝に仕え、甲州派兵学、儒学を学び、のち、諸侯に招かれて兵学を講じた。著に徳川家康の伝記「落穂集」、武士道書「武道初心集」など。寛永一六~享保一五年(一六三九‐一七三〇)
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大道寺友山
だいどうじゆうざん
(1639―1730)
江戸前期の兵法家。名は重祐(しげひろ)、孫九郎と称し、知足庵(ちそくあん)、のち友山と号した。3歳のとき父を失い、早くから世の辛酸をなめ、長ずるに及んで学問に志し、越後(えちご)(新潟県)村上から江戸に出て、小幡景憲(おばたかげのり)、北条氏長(うじなが)について甲州流の兵法を学んだ。その後、さらに山鹿素行(やまがそこう)の門に入って、甲陽機変(こうようきへん)の蘊奥(うんのう)を究めたという。
あわせて儒学に精進して、修斉治平の道を修め、遠山信景(のぶかげ)、大原徳らと親交を結び、故事に精通して、盛んに諸侯の間に遊説し、浅野家や会津松平家の寄客となった。ゆえあって一時、武州岩淵(いわぶち)に屏居(へいきょ)したが、晩年、越前(えちぜん)松平侯の招きに応じ、その厚遇を受けた。人となり清節、剛直、忠信を重んじ、よく衆を海容したといい、初心武士の心得を説いた『武道初心集』三巻が有名。そのほか『岩淵夜話(やわ)』『落穂集(おちぼしゅう)』『王臣論』『雷鳴論』『大将伝』など、多数の遺著がある。
[渡邉一郎]
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大道寺友山 (だいどうじゆうざん)
生没年:1639-1730(寛永16-享保15)
江戸中期の兵学者。名は重祐,通称は孫九郎,友山は号。山城国伏見の人。江戸に出て小幡景憲,北条氏長および山鹿素行らに学んで甲州流の兵学を修め,浅野,会津,越前諸侯に仕える。儒学の造詣深く,その士道論をまとめたものに《武道初心集》がある。晩年武州岩淵に住み,徳川家康の事跡逸話を中心とする《岩淵夜話》《落穂集》などを書く。
執筆者:相良 亨
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大道寺友山【だいどうじゆうざん】
江戸中期の兵学者。名は重祐(しげひろ)。山城(やましろ)国伏見の人。小幡景憲・山鹿素行らに師事し甲州流兵学を修めた。越前(えちぜん)福井藩松平氏に招かれ優遇され,晩年は武蔵(むさし)岩淵(いわぶち)に住した。主な著書に士道論をまとめた《武道初心集》や徳川家康の事績,逸話を中心に集めた《落穂集》《岩淵夜話》などがある。
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大道寺友山 だいどうじ-ゆうざん
1639-1730 江戸時代前期-中期の兵法家。
寛永16年生まれ。小幡景憲(かげのり),北条氏長,山鹿素行などに兵学をまなぶ。安芸(あき)浅野家,会津(あいづ)松平家,越前(えちぜん)松平家などで兵学を講じた。武家の故実にくわしく,「武道初心集」をあらわした。享保(きょうほう)15年11月2日死去。92歳。山城(京都府)出身。名は重祐。通称は孫九郎。別号に知足軒。著作はほかに「落穂集」「岩淵夜話」など。
【格言など】一日一日を今日が限りとこころえよ
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大道寺友山
だいどうじゆうざん
[生]寛永16(1639).伏見
[没]享保15(1730).江戸
江戸時代中期の兵学者。名は重祐,俗称は孫九郎。父は大道寺繁久。小幡景憲,北条氏長,山鹿素行らに甲州流兵学を学び,浅野家,会津松平家,越前松平家に寄寓して兵学を説いた。主著『武道初心集』『落穂集』。
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大道寺友山
だいどうじゆうざん
1639〜1730
江戸前・中期の兵法家
山城(京都府)伏見の人。小幡景憲・北条氏長・山鹿素行らについて甲州流兵法を修め,また儒学の素養も深く,浅野氏・会津松平氏・越前松平氏など諸藩に仕え優遇された。主著に『岩淵夜話』など。
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世界大百科事典(旧版)内の大道寺友山の言及
【武道初心集】より
…士道を論じた書で,近世武士の倫理思想の貴重な資料。筆者は[大道寺友山]。晩年の作か。…
※「大道寺友山」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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