( 1 )「大饗」「大御饗」の語が記紀に見え、「みあへ」「おおみあへ」と訓読されている。もともとあった饗宴名に漢語があてられ成立したものか。
( 2 )二宮(中宮・東宮)大饗は「類従国史‐七一・二宮饗宴‐天長七年正月三日」に「群臣拝二賀皇后宮一。賜二被衣一、又賀二皇太子一、宴賞如レ常」と見えるのが記録の上では古い。期日は正月二日。
( 3 )大臣大饗は大臣に任ぜられた時と、毎年の正月の二種がある。任大臣大饗は任大臣の儀が行なわれたその日に行なわれるもので期日は不定。正月の大饗は左大臣は四日、右大臣は五日を式日としていたが、大臣に任ぜられた翌年に限って行なうという傾向も生じた〔江家次第‐二〕。
内裏または大臣家で正月に行われた年中行事。二宮大饗,大臣大饗,任大臣大饗などがある。二宮大饗は,正月2日に二宮(后宮,太皇太后,皇太后,中宮をふくめた後宮と東宮)に群臣が拝賀した後,玄輝門の西廊・東廊で饗宴が行われた。大臣家の大臣大饗は,主として正月4日,5日に行われ,大臣家は請客使を遣わして第一の正客の尊者を迎える。尊者は親王の場合が多く,朝廷からは蘇甘栗(そあまぐり)使が甘栗などを持って来る。二宮大饗と大臣大饗は恒例の正月行事であり,任大臣大饗は,大臣に任官した者が正月私邸において行う臨時の大饗をいう。大臣大饗は藤原氏の場合,祖先の冬嗣より伝わる朱器台盤を用いる。これは藤原氏の氏長者としての意識を強めるためのものである。また,藤原氏の勧学院の学生が参賀に来る。拝礼の後,饗宴が開かれ,勧盃の儀につづいて,雅楽寮が音楽を奏し,舞がある。
執筆者:山中 裕
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
古代に行われた饗宴儀礼で、大規模な宴会をいう。大饗には、その主催者によって、二宮(にぐう)(東宮と中宮)大饗と大臣大饗とがあった。前者は皇族のもので、宮中で催され、後者は臣下の大饗で、それぞれの邸宅で行われた。また年始や、なにかの就任式などのときに行われる臨時の大饗、あるいは皇太后などの大饗もあった。
正月の二宮大饗は天皇の元日節会(がんにちのせちえ)にあたる行事で、正月の2日に行われた。大臣大饗は臣下の行う饗礼としては最大規模のもので、摂関家がその象徴として有した朱器台盤もこのとき使用された。正月の大臣大饗は4、5日ころに行われていたが、しだいに遅くなり、10世紀の末からは20日以後に行われるようになった。
[酒井信彦]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…《日葡辞書》は〈人を招待などして,手あつく待遇する〉と釈している。 このように相手を招いて宴会を催し,酒食を供したうえで,引出物を贈るもてなしは,公家・武家を通じ,大饗や埦飯(おうばん)などさまざまな形で行われ,饗応してもてなす側は,共食,贈与を通じて相手との人間関係を強めることを目的としていた。中世の荘園,公領では,現地に下向してくる預所,地頭,その代官,検注・内検・勧農・収納などの使に対し,三日厨(みつかくりや)をはじめとするもてなしをするのが荘官,百姓の義務であり,公事(くじ)とされていた。…
※「大饗」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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