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大高源吾 おおたかげんご

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

大高源吾
おおたかげんご

[生]寛文12(1672).赤穂
[没]元禄16(1703).2.4. 江戸
江戸時代中期の播磨赤穂藩主浅野長矩 (ながのり) の家臣で,いわゆる赤穂義士の一人。名は忠雄。大石良雄の吉良 (きら) 邸討入りに参画,のち切腹。子葉と号し,俳諧,茶事に通じ,榎本其角とも親交があった。

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デジタル大辞泉の解説

おおたか‐げんご〔おほたか‐〕【大高源吾】

[1672~1703]赤穂義士(あこうぎし)の一人。名は忠雄。浅野長矩(あさのながのり)の中小姓。吉良(きら)邸討ち入りに参加。宝井其角(たからいきかく)に俳諧を学び、子葉と号した。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

大高源吾 おおたか-げんご

1672-1703 江戸時代前期の武士。
寛文12年生まれ。播磨(はりま)(兵庫県)赤穂(あこう)藩士。四十七士のひとり。中小姓,膳番元方,金奉行,腰物方を兼ねた。藩主浅野長矩(ながのり)の死後,江戸にでて,脇屋新兵衛と変名し吉良義央(よしなか)邸をさぐった。討ち入り後,元禄(げんろく)16年2月4日切腹。32歳。名は忠雄(ただたか)。俳号は子葉。著作に「丁丑紀行」,編著に「二つの竹」。
【格言など】梅で呑む茶屋もあるべし死出の山(辞世)

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世界大百科事典 第2版の解説

おおたかげんご【大高源吾】

1672‐1703(寛文12‐元禄16)
大石良雄を首領として1702年(元禄15)12月14日に吉良邸に討ち入った赤穂浪士の一人。大高は禄高20石五人扶持で,父忠晴の代に新たに浅野家に召し抱えられた。浅野家が断絶した後はおもに京都にいたが,翌年9月吉良を討つため江戸に下るにあたり決別の意をこめて母にあてた手紙には,浅野の家臣たちが吉良を討つ目的と意義を余すところなく述べており,赤穂事件の重要な史料である。【田原 嗣郎】 大高源吾は死後,浄瑠璃歌舞伎・講談等に取り上げられた。

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大辞林 第三版の解説

おおたかげんご【大高源吾】

1672~1703) 江戸中期、赤穂浪士の一人。赤穂藩主浅野長矩の中小姓。茶人羽倉斎いつきを通じて吉良邸の動静をさぐった。俳号、子葉。

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