中国の思想上,天(自然)と人(人事)とには対応関係があるとする説。最初に組織的に論じたのは前漢の董仲舒(とうちゆうじよ)の《春秋繁露》である。それによると,人体に大節が12あるのは1年の月数に,小節366あるのは日数に相応し,五蔵は五行(ごぎよう)に,四肢があるのは四時の数に当たり,覚めまた眠るのは昼夜に等しい。すなわち人の身体は天の全体をそなえた小宇宙であり,それゆえ人は天と不可分の関係にたつと説く。人事のうち重要な政治については,自然に則るべきことを強調し,官制の三公九卿二十七大夫八十一元士は天にかたどったものであり,刑殺は物の枯渇する冬に行うべしという。さらに君主の政治と自然現象との関係を,君主が善政を行えば天は祥瑞を下して嘉賞し,君主が無道をはたらくと,天は地震や日食や洪水などの災異を下して君主を譴責するとした。これは〈災異説(災異思想)〉と呼ばれ,政治の横暴を規制するものとして提案されたが,のちしだいに神秘的な予占に堕し,後漢の桓譚(かんたん)や王充によってその非合理性を厳しく批判された。
→天
執筆者:日原 利国
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… 上述したように,春秋戦国期には天に関する多様な見解が提出され,それらはすでに漢以後の天の思想史を先取りしている。漢代のイデオローグ董仲舒(とうちゆうじよ)は,荀子の分離した天・人をふたたび結びつけ,天人相関説(政治のよしあしに対して天が感応して禍福をくだすとする説)をとなえ,墨家的な天を復活させた。歴代の儒教は,郊祀儀礼を整備して皇帝権力につかえる一方,この天人相関説を取り入れて権力の無制限な行使に制肘を加えた。…
…朱子学でいう〈天理を存し人欲を去る〉という命題もひとつの天人合一論ということができる。なお,董仲舒(とうちゆうじよ)の主張した天人相関説(自然現象と人間の行為とは感応しあうとする説)を,天人合一の名で呼ぶこともある。天【三浦 国雄】。…
※「天人相関説」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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