日本大百科全書(ニッポニカ) 「天津小湊」の意味・わかりやすい解説
天津小湊
あまつこみなと
千葉県南部、安房郡(あわぐん)にあった旧町名(天津小湊町(まち))。現在は鴨川市(かもがわし)の東部を占める地域。外房(そとぼう)に面す。1955年(昭和30)天津町と小湊町が合併、両町名をとって天津小湊町と改称。2005年(平成17)鴨川市に合併。天津は「海女(あま)のいる港」、小湊は「良港」を意味するといわれ、漁業の町であることを示している。旧町域はJR外房線と、国道128号が岩石海岸に沿って走る。鎌倉時代以後長く東条氏の所領であったが、のち里見氏の支配を経て、江戸時代には幕府の直轄地となった(のち一部が武蔵岩槻藩領などとなった)。天津は近世初期に紀州の漁民が流入してイワシ漁を始めたといわれ、現在も沿岸漁業が盛んである。小湊には日蓮上人(にちれんしょうにん)ゆかりの誕生寺(たんじょうじ)があるが、これは弟子の日家(にっか)上人が興津(おきつ)城主佐久間(さくま)氏の援助で建立した。門前には旅館や土産(みやげ)物店が立ち並び、観光産業が活発で、南房総国定公園の観光拠点をなす。前面の海域は特別天然記念物「鯛の浦(たいのうら)タイ生息地」となっており、遊覧船の近くにタイが集まる。内陸には日蓮上人が出家した清澄寺(せいちょうじ/きよすみでら)や、スギ、ヒノキの茂る「内浦山(うちうらやま)県民の森」があり、ハイキングに適する。
[山村順次]