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天神信仰 てんじんしんこう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

天神信仰
てんじんしんこう

天から降りきたる神霊を基礎に,菅原道真の霊を祀る信仰。各地に天神社があるが,すべてが道真を祭神とする京都の北野神社の天神を勧請しているわけではない。天神の古い神格は天降る雷神で,雷光をもってその象徴としたらしい。道真の怨霊は平安時代末期に著しい活動を示したとされたが,それは恨みを残した道真の相手が雷に打たれて横死したり,雷災がはなはだしかったことと結びつけて説明された。道真の死後 50年間に彼の霊が数度託宣し,その霊の威力が当時の人々に畏怖された結果,古くから天神祠のあった北野に彼の霊が祀られ,大政威徳天,天満大自在天と呼ばれた。その後怨霊の活動がしずまり穏やかになると,道真が学問にすぐれていたことから学問の神とあがめられるようになり,勉強する子供たちの守護神に変化した。

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世界大百科事典 第2版の解説

てんじんしんこう【天神信仰】

天神は地祇(ちぎ)とならび称せられ,前者は天界にいる神と信じられた。養老神祇令では神祇官天神地祇をまつると規定しており,令の注釈を集成した《令集解(りようのしゆうげ)》によれば,天神とは伊勢・山城鴨・住吉および出雲国造のまつる神であるという。記紀では天つ神は国つ神と併称されている。記紀の天孫降臨神話は,天皇制の神話上の始原を示すかたちで,天神信仰をとりこんだものである。しかし本来天の神への信仰は日本古代国家の意図によって作られた法や神話にもとづくものではなく,世界のいたるところに多様な形態で認められる。

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大辞林 第三版の解説

てんじんしんこう【天神信仰】

菅原道真を天満大自在天神として崇める信仰。御霊信仰として発祥したが、現在では学業の神、受験の神として信仰を集めている。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

天神信仰
てんじんしんこう

平安時代の公卿(くぎょう)・政治家・学者であった菅原道真(すがわらのみちざね)の死後、その霊は天満(てんまん)天神として崇(あが)められて信仰が広まり、現在に至るまで全国で1万数千社の天満宮を中心に、「天神さま」として親しまれてきた。903年(延喜3)道真は流罪となった筑紫(つくし)国大宰府(だざいふ)(福岡県太宰府市)にて没したが、京都では落雷などの天災が相次ぎ、また藤原氏一族の変死が重なり、世人はこれを道真の怨霊(おんりょう)によるものと畏怖(いふ)した。当時、社会的に強い影響のあった怨霊・御霊(ごりょう)信仰と結び付き、道真の霊は雷神、疫神(えきしん)、そして天満天神と観念された。天満天神とは眷属(けんぞく)を率いて国土に遍満し、大災害をなす梵天帝釈(ぼんてんたいしゃく)系統の怨霊神であった。大宰府には没後2年墓所に廟社(びょうしゃ)が建てられたが、京都北郊の北野の地には天満宮が創建された。ここはそれ以前より農耕生活とかかわり深い天神・雷神信仰による農耕祭祀(さいし)が行われ、これと結び付いたと考えられる。ここに、後世、天神信仰が都市のみならず地方農村へも発展していった素地があったといえる。鎌倉時代以降に入ると社会的信仰と個人的信仰の両面で新たな展開がなされた。儒家菅原家の氏神(うじがみ)・学徳への追慕から、儒学者・文人の間では文道・学問・書の守り神としての霊験(れいげん)が広まり、室町時代にはとくに五山禅僧の間に渡唐天神として中国風の思想も加え、菅公(かんこう)と梅との結び付きもここに由来する。江戸時代には寺子屋教育の普及とともに学問の神として庶民の子弟にまで広まった。命日の2月25日、月々の25日には子供たちによる天神講が行われた。個人信仰の面では、鎌倉期以降、天神縁起(えんぎ)の絵巻物が流布し、冤罪(えんざい)をはらす神、また加えて正直の徳ある神として道徳観を強めることとなった。なお江戸時代の浄瑠璃(じょうるり)の『天神記』(近松門左衛門作)、『菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)』(竹田出雲(いずも)ら作)も道真の一代記として、天神信仰の普及に影響が深かった。[牟禮 仁]

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世界大百科事典内の天神信仰の言及

【雷】より

…雷が小童の形で出現することは《日本霊異記》《今昔物語集》の前記の話に見られるが,道場法師が力くらべをした際には深さ3寸の足跡が残ったといわれ,巨人伝説との関連が考えられ,別雷神(わけいかずちのかみ)の伝承や《常陸国風土記》の晡時臥山の伝説などと関連して,この世に降臨した神が異常に成長をとげる話に発展していく経路を示している。平安朝にはいって急速に広まった御霊(ごりよう)信仰によって雷神信仰は天神信仰に統一され,北野天神の眷族(けんぞく)神として低い位置にとどまるようになった。同時に御霊信仰は,人間にとって恐るべき神の存在を強く押し出したものであるため,これによって雷の性格が決定されることになった。…

【源氏物語】より


[主題と構想]
 第1~3部の間には,内容のみならず,その創作方法や思想・基調の上にもかなり大きな変化が見られる。第1部の青年期の光源氏には,皇族圏を舞台におおむね明るい幸福感が満ちているが,その物語の進行には,予言とその実現や,貴種流離譚の型式が忠実に守られており,その間に神秘的な住吉信仰・天神信仰,あるいは当時の通俗的な求婚譚や継子(ままこ)物語がからませてある。要するに超越的存在が人間を支配する古代信仰や民間伝承の古型に近いのである。…

【御霊信仰】より

…京都の祇園祭(ぎおんまつり)もその本質はあくまでも御霊信仰にあり,本来の名称は〈祇園御霊会〉(略して祇園会)であって,八坂神社(祇園社)の社伝では869年(貞観11)に天下に悪疫が流行したので人々は祭神の牛頭天王(ごずてんのう)のたたりとみてこれを恐れ,同年6月7日,全国の国数に応じた66本の鉾を立てて神祭を修め,同月14日には神輿を神泉苑に入れて御霊会を営んだのが起りであるという。また,903年(延喜3)に九州の大宰府で死んだ菅原道真の怨霊(菅霊(かんれい))を鎮めまつる信仰も,御霊信仰や雷神信仰と結びつきながら天神信仰として独自の発達を遂げ,京都の北野社(北野天満宮)をはじめとする各地の天神社を生んだ。 鎌倉時代以降には,非運な最期を遂げた武将たちも御霊神の中に加わるようになって御霊信仰に新生面が出たが,その場合は御霊の音が似ているために〈五郎(ごろう)〉の名を冠した御霊神が多く,社名も〈五郎社〉で,鎌倉権五郎社(御霊神社)はその好例の一つである。…

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