太平記読み(読み)タイヘイキヨミ

デジタル大辞泉 「太平記読み」の意味・読み・例文・類語

たいへいき‐よみ【太平記読み】

江戸時代に、道端などで太平記などの軍記物講釈すること。また、それを職業とした人。のちの講談もとという。太平記講釈軍書読み。

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精選版 日本国語大辞典 「太平記読み」の意味・読み・例文・類語

たいへいき‐よみ【太平記読】

  1. 〘 名詞 〙 江戸初期に、路傍などで人を集め、「太平記」やその他の軍記台本として講釈し、金品をもらうこと。また、その人。後世講釈師の祖。太平記講釈。
    1. 太平記読〈人倫訓蒙図彙〉
      太平記読〈人倫訓蒙図彙〉
    2. [初出の実例]「此後御事は大平記よみ一人めされ出し候までにて候」(出典:厳島野坂文書‐(年未詳)(1590‐91頃)五月二四日・山城守就長書状)

太平記読の語誌

もともと中世僧侶によって始められた〔蔭凉軒日録‐文正元年(一四六六)閏二月六日〕が、近世になって「太平記評判秘伝理尽鈔」が板行されたことにより、これを台本とする太平記読みが興隆した。

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改訂新版 世界大百科事典 「太平記読み」の意味・わかりやすい解説

太平記読み (たいへいきよみ)

江戸時代の講釈師の異称。《太平記》など軍書を読んで人気があった。仏教唱導系列から出たもので,《平家物語》は平曲となったが,《太平記》は説教僧,物語僧らによる講釈となった。近世初期に大運院陽翁(法華法印日応)らが《太平記評判秘伝理尽鈔》を著したが,これは《太平記》の評論を集大成したもので,後世の〈太平記読み〉の台本の正統となり,その伝授法が諸侯の間で書写されて数種類の末書を生んだ。また1668年(寛文8)に出た原友軒の《太平記綱目》も《理尽鈔》系の《太平記》の読み方を教えている。《続々武家閑談》には〈赤松法印といへる者慶長の頃家康の前に出て度度(たびたび)太平記,源平盛衰記等を進講す,世人之(これ)を呼んで太平記読みと謂(い)へり〉とあり,曲亭馬琴の《燕石雑志》にも〈太平記読み〉の記事が見える。赤松法印は伝記不明の僧であるが,講釈(講談)の歴史の先端につねに名の出る著名人物で,仏教と講釈の深いかかわりを示している。
講談
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「太平記読み」の意味・わかりやすい解説

太平記読み
たいへいきよみ

太平記講釈ともいい、講談の源流の一つ。『太平記』を読む物語僧・談義僧は15世紀後半には存在したが、芸能者としてはっきり姿を現すのは、『太平記』を批判・評論した大運院陽翁編『太平記評判秘伝理尽鈔(しょう)』(1645)を読んだ講釈師たちである。元禄(げんろく)(1688~1704)ごろ京より江戸に下った赤松清左衛門(せいざえもん)が著名で、浅草御門の傍らで読んだため、この地の講釈場は太平記場とも称された。18世紀初頭を過ぎると、『太平記』よりも『太閤記(たいこうき)』『三河後風土記(みかわごふどき)』などの軍談が喜ばれるようになった。まず本文を素読みし、当時の事情など説明していくうちに嘘(うそ)が混じり、だんだんおもしろくなっていき、政治、兵法など万般にわたっての批評を行うという段取りで読まれた。近松門左衛門作『大経師昔暦(だいきょうじむかしごよみ)』(1715)に登場する京都岡崎の講釈師赤松梅竜は、仕方で「楠湊川合戦(くすのきみなとがわかっせん)」を読み木戸銭五文と書かれている。

[延広真治]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「太平記読み」の意味・わかりやすい解説

太平記読み
たいへいきよみ

太平記講釈ともいう。芸能の一種。『太平記』を朗読し,講釈する人。室町時代の日記類には物語僧から『太平記』を聞いたという記事が散見し,早くからこの種の者に朗読されてきた。江戸時代に入り慶長~元和 (1596~1624) の頃,『太平記』の評判書である『太平記理尽抄』の講釈が武家の間に起り,次第に流布し,貞享~元禄 (84~1704) の頃には民間でも盛んとなり,これが職業として確立してきた。のち『太閤記』『三河後風土記』など近世の読み物も講釈するようになり,講釈の起源となった。

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百科事典マイペディア 「太平記読み」の意味・わかりやすい解説

太平記読【たいへいきよみ】

太平記》を台本として講釈する江戸時代の語り物芸能またはその講釈師のこと。室町時代に《平家物語》《太平記》等を読み説いた物語僧が起源という。江戸初期に始まり,講談の祖をなした。

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旺文社日本史事典 三訂版 「太平記読み」の解説

太平記読み
たいへいきよみ

『太平記』の講釈師
室町時代には『太平記』を物語僧が朗読してきたが,近世初期には武家の要求に応じて専門家が現れ,17世紀末期に職業化し講談の起源となった。

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世界大百科事典(旧版)内の太平記読みの言及

【赤松法印】より

…赤松一族の石野氏置のことが《寛政系譜》に〈家康御伽(おとぎ)衆二千五百石〉とあるので,氏置をもって赤松法印と推測することができるが,不明。赤松を名のる講釈師が江戸時代に頻出したことから,赤松家の子孫が〈太平記読み〉となって先祖の偉業を称揚したことが想像される。【関山 和夫】。…

【講談】より

…歴史的には,仏教の経典講釈,法門講談の系列の中に戦記物語が加わり,講釈・講談はしだいに話芸の形態をもつようになったと考えられる。そのことは,講談の源流といえる〈太平記読み〉にしても,その《太平記》の作者が小島法師なる人物として伝えられることや,《太平記》の評論の集大成である《太平記評判秘伝理尽鈔(りじんしよう)》の各地への伝播者に法華法印日応という説教僧があったことなどから察知できる。《平家物語》《源平盛衰記》《太平記》が琵琶法師物語僧によって口演されたのは,仏教における唱導(説教)の変形ともみられる。…

【物語僧】より

…《太平記》作者とされる小嶋法師も物語僧とする見方がある。絵解きと同類で,後の御伽衆(おとぎしゆう)や〈太平記読み〉は物語僧の流れをくむものである。絵解き【加美 宏】。…

※「太平記読み」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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