太田錦城(読み)オオタキンジョウ

デジタル大辞泉 「太田錦城」の意味・読み・例文・類語

おおた‐きんじょう〔おほたキンジヤウ〕【太田錦城】

[1765~1825]江戸後期の儒学者。加賀の人。名は元貞。姓は「大田」とも。門弟に教えながら独学し、折衷学派大成。晩年、加賀前田侯に出仕。著「論語大疏」「九経談」など。

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精選版 日本国語大辞典 「太田錦城」の意味・読み・例文・類語

おおた‐きんじょう【太田錦城】

江戸後期の折衷学派の儒者。名は元貞、字は公幹通称才佐。加賀大聖寺の人。初め皆川淇園に、のち山本北山に学ぶが、意に満たず、以後、独力で研鑽する。初め宋学を否定したが、後、清朝考証学なども取り入れ、つとめて公平に諸説を折衷した。後年加賀藩仕官。著「九経談」「論語大疏」「梧窓漫筆」「春草堂集」など。明和二~文政八年(一七六五‐一八二五

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「太田錦城」の意味・わかりやすい解説

太田錦城
おおたきんじょう
(1765―1825)

江戸後期の儒学者。考証学派とされる。名は元貞、字(あざな)は公幹、通称才佐(さいざ)。錦城はその号。加賀(石川県)の人。初め山本北山(やまもとほくざん)に就いたが、幕府の医官多紀元簡(たきげんかん)の知遇を得て清(しん)朝の書籍を読み、ほとんど独学で一家の学風を樹立した。のち加賀侯に仕え、文政(ぶんせい)8年4月23日、61歳で没した。『九経談(きゅうけいだん)』(1804)はその40歳のときに刊行された代表的著作で、『孝経』と四書に、『礼記(らいき)』を除く五経を加えた九経についての論説である。その学識の淵博(えんぱく)は当時に喧伝(けんでん)され、なかでも『書経』の偽作問題を追求した考証は精密を極めている。これは彼が清朝の考証学を重んじた成果である。ただし、彼は宋学(そうがく)を実証性のないものとして批判しながら、その道義的実践性(義理)を尊重し、瑣末(さまつ)な考証に陥ることを戒めて、学問的な真偽と実践的な効用とを区別してその両面を追求する必要を説いた。実学としての儒学の実践性を重んじながら、学問としての考証学を進めたところに、彼の特色がある。

[金谷 治 2016年4月18日]

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改訂新版 世界大百科事典 「太田錦城」の意味・わかりやすい解説

太田錦城 (おおたきんじょう)
生没年:1765-1825(明和2-文政8)

江戸後期の儒者。折衷考証学派。名は元貞,字は公幹,通称は才佐,錦城は号。加賀国大聖寺の医家に生まれた。家業の医学にあきたらず,京都の皆川淇園や江戸の山本北山に学び,その後独学で一家の学を作りあげた。その才学を認めた幕府の医官多紀桂山の後援で,ひろく名を知られるようになる。はじめ三河吉田藩に召し抱えられ,やがて郷里の加賀藩に迎えられて,俸禄300石,上士に列せられた。錦城は博覧強記,経学を主としたが,百家の書に通じたといわれる。その学風は宋学に清朝初期の考証学をとり入れたもので,考証精密,江戸後期の代表的考証学者であるとともに,幕末から明治にかけての考証学流行の道をひらいた人物である。著書には当時名著と評判が高かった《九経談》のほか,《疑問録》《仁説三書》《大学原解》《中庸原解》《尚書紀聞》《春草堂詩集》《鳳鳴集》《白湯集》,随筆集《梧窓漫筆》その他がある。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「太田錦城」の意味・わかりやすい解説

太田錦城
おおたきんじょう

[生]明和2(1765)
[没]文政8(1825).4.23.
江戸時代後期の折衷派の儒学者。名は元貞,字は公幹,通称は才佐,錦城と号した。加賀大聖寺の人。本草学にも通じた医者玄覚の第8子。初め兄伯恒に医を学び,のち医を捨て皆川淇園 (京都) ,山本北山 (江戸) に学ぶ。やがて刻苦精励して一家をなす。初め吉田侯,のち加賀侯に仕える (300石) 。錦城の折衷学は宋学に毛奇齢,朱彝尊らの清朝初期の考証学を取入れたもの。博識をもって聞え,考証にすぐれていた。著書『九経談』 (10巻) ,『疑問録』『仁説三書』『一貫名義』など。随筆に『梧窓漫筆』 (6巻) がある。

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旺文社日本史事典 三訂版 「太田錦城」の解説

太田錦城
おおたきんじょう

1765〜1825
江戸後期の儒学者。折衷学派
加賀(石川県)の人。初め皆川淇園 (きえん) ・山本北山らの折衷学者についたがあきたらず,空理を排し,宋学に清朝初期の考証学をとり入れ,独自の折衷学派を大成した。著書に『梧窓漫筆』など。

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