室町後期から江戸中期寛文(1661-73)ころにかけてつくられた絵入写本の一種。縦約16cm,横約22cmほどの横本(よこほん)の体裁をなし,紺紙に霞または雲形(くもがた)をあしらい,金泥で草花などを描いた表紙で,その中央上部か左肩上に書名を記した題簽(だいせん)を貼り,見返しは金か銀の箔を置くものが多い。本文は間似合(まにあい)紙を用い,絵と詞とはそれぞれ別の書き手で,内容は《舞の本》から採ったものや謡曲,説経をうつしたものもあるが,ほとんどが御伽草子である。例を挙げると,天理図書館蔵《天神由来》(2冊),《海女物語》(2冊),《小男のさうし》(1冊),《蛤》(2冊),京都大学図書館蔵《阿国歌舞伎》(1冊),慶応義塾大学図書館蔵《六代》(3冊),竜門文庫蔵《しゆてん童子》(3冊),岩瀬文庫蔵《一本菊》(3冊),国会図書館蔵《小敦盛》(1冊),京都府立総合資料館蔵《敦盛》(2冊),大阪中之島図書館蔵《鉢かづき》(2冊)などが,量産されたと考えられる横本の奈良絵本である。これらは,江戸期には〈画巻(えまき)の遺風〉(《耽奇漫録》)とか,〈横切本〉の〈かき本〉(尾崎雅嘉《蘿月庵国書漫抄》)などとされ,奈良絵本ということばは明治中期以降の造語とみられ,その呼称も,南都興福寺絵所(えどころ)や奈良の絵屋町の所産とする説は当たらないであろう。御伽草子は,絵巻でも写本のかたちでも流布したが,多くがこの横本の奈良絵本のかたちで商品としてつくられたものであり,絵屋,扇屋などで,御伽草子の庶民版として量産されたものと考えてよかろう。この横本奈良絵本の形式・内容を踏襲したのが,狭義の御伽草子,すなわち絵入刊本23編のいわゆる渋川版,御伽文庫である。この横本以前に,一まわり大きい,鳥の子紙に雲形模様の表紙の奈良絵本があり,これらには,挿絵の中に会話が書き込まれていたり,本文が数行にわたって画の丁に割り込んでいたり,画面の上下をすやり霞よりもむしろ雲形で仕切ったりしたものが見られ,絵巻以来のかたちをとどめていることを明らかにみてとれる。これをさらにさかのぼると,〈小絵〉(天地17cm前後の小型絵巻)にまで行き着くのであろう。また,縦22cm前後,横16cm前後の,胡粉を用いて細密画風に挿絵を描き,金箔・金砂子(すなご)を画のみならず装丁にも多用したものをも奈良絵本と呼ぶこともあり,また,寛文期に多くつくられた天地33cm前後の絵巻をも奈良絵本と呼ぶこともあるが,これらの多くは土佐絵の系統をひくもので,奈良絵とは画風を異にするもので,区別すべきであろう。
御伽草子の多くは,この横本の奈良絵本として流布した。このことは,具体的にリストを挙げて論じた清水泰(ゆたか)〈奈良絵本考〉(《中世文芸史論攷》(1953)所収)や,御伽草子研究の出発点である松本隆信の〈増訂室町時代物語類現存本簡明目録〉(《御伽草子の世界》(1982)所収)に明示されている。また天理図書館善本叢書は《古奈良絵本集》1,2を収めるが,絵巻も鳥の子紙の奈良絵本も間似合紙の横本奈良絵本をも収めており,奈良絵を芯として編集した意図が明瞭に示されている。1978,79年に奈良絵本国際研究会議がロンドン,ダブリン,ニューヨーク,東京,京都で開かれた。《御伽草子の世界》《在外奈良絵本》(ともに1981)は,その成果の一部である。
執筆者:徳江 元正
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御伽草子(おとぎぞうし)、舞(まい)の本(幸若(こうわか)舞)などに彩色の挿絵を入れた古写本。奈良絵本は興福寺などの絵仏師が注文や売品としてつくったものであるといわれるが、その名称は明治中期ころにつけられたもので、江戸時代には単に古写本、かき本などとよばれるのみである。奈良絵本には筆者や製作年代を記したものがきわめて少ないが、その画風などから室町時代末期より江戸時代初期にかけてつくられたものと考えられ、曲亭馬琴(ばきん)が『文正(ぶんしょう)草子』『鉢かづき』などの絵巻物に触れ、これらが慶長(けいちょう)の後までも「書肆(しょし)のしいれ画といふもの毎年に出せり」と述べており、江戸初期の御伽草子の絵巻物に「城殿和泉掾(いずみのじょう) 草子屋 藤原尊重」という印をもつものがあり、草子屋とよばれた書肆(本屋)や、絵屋・扇屋などでつくられたものと考えられる。柳亭種彦(りゅうていたねひこ)は『文正草子』について「此(この)さうし今多く伝り、大本(おほほん)・小本(こほん)、摺本(すりほん)の数あるも、昔は家々になくてかなはざりし冊子(さうし)なりしが故(ゆゑ)なり」と述べており、おおむね初期のものに縦30センチメートルほどの大型縦本が多く、やがて縦23×17センチメートルほどの縦本とこれを横にした横本に統一される。
なお、同じ時期の内容・作風の共通する絵巻物も奈良絵本とよぶことがある。嫁入り本、棚飾り本ともよばれたように、表紙は、紺紙(こんし)に草花などを金泥(きんでい)で描き朱の題簽(だいせん)をつけるものや内曇(うちぐもり)模様のものが多く、見返しに金箔(きんぱく)を用いるなど、華麗な造本のものが多い。室町時代中期以降の絵巻物には、御伽草子的な内容をもつものが多く、奈良絵本の挿絵がそれらの影響を受けていることはいうまでもない。
その挿絵は、泥絵具(どろえのぐ)を用いたものから白描画(はくびょうが)に至るまで、さまざまであるが、おおよそ二つの流れに分類することができる。一つはいわゆる奈良絵とよばれるもので、天地に定形化したすやり霞(がすみ)をつけ、泥絵具を用いる素朴な作風をもつもの、一つは細密華麗な描写のもので、すやり霞に金砂子などを用い、本文料紙にも金泥の下絵をもつものがある。これら奈良絵本をそのまま版本化したものもあり、初期の仮名草子(かなぞうし)や浄瑠璃正本(じょうるりしょうほん)の挿絵には奈良絵本の影響が認められる。
[赤井達郎]
『高崎富士彦著『お伽草子』(1970・至文堂)』▽『赤井達郎著「奈良絵本研究史」(奈良絵本国際研究会編『御伽草子の世界』所収・1982・三省堂)』
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室町末~江戸前期にかけて作られた挿絵入りの冊子本。写本。読者層の広がりとともに絵巻物から順次移行したと考えられ,大型本・半紙本・横本などさまざまな形がある。内容は室町物語が中心。挿絵は奈良絵(明治以降の呼称。奈良との関係は不明)とよばれ,単純化した構図のうえに朱・緑・青など鮮やかな色調で彩色し,金泥・金銀箔をはる。奈良絵本の制作には,京都の扇屋が関与し,やがて絵草子屋の出現によって大量に出回るようになる。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…歴史的には,平安時代末から室町時代末におよぶ多くの絵巻物は,絵が物語を表現する形式としては世界に比類ないが,その推移を見ると,内容が細分化するに従って絵は衰弱し,巻子本はついに冊子本に変わる。その境めの安土桃山時代初めに民衆画が現れて御伽(おとぎ)草子類を飾り,庶民に奈良絵本として売られたと考えられる。やがて印刷が始まり,衆に先がけて京都の角倉了以が本阿弥光悦とともに,いわゆる嵯峨本を刊行し(1608),その挿絵は以後の印刷本の見本になった。…
※「奈良絵本」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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