子供用の衣服のこと。年齢範囲としてはだいたい3歳から12、13歳(ローティーン)までを対象としており、3歳以下はよちよち歩き用のトドラーとベビー服があり、13、14歳以上はジュニア部門に入る。
[辻ますみ]
欧米の服装史のうえで、はっきり子供服とわかる衣服類が現れるのは18世紀末期であり、そう古いことではない。それ以前には子供用の衣服というものはなく、大人の服型をそっくりまねたものを着ていた。子供は原罪を負った存在であるから、早くその時期を逃れたほうがよい、という考え方が伝統的にあり、幼少から大人のように装い、大人のようにふるまうことが強要されてきた。また乳児期には、体を動かさぬようにスワドリング・バンドswaddling bandを全身に巻き付けて縛るという風習も、長く続けられていた。子供に対する考え方が変わらない限り、これらの風習は続くわけだが、それには、この考え方の非合理性を批判する、18世紀の啓蒙(けいもう)思想の普及をまたねばならなかった。とくにルソーの教育論の影響は大きく、子供の存在や人格が認められるとともに、それが子供の衣服にも反映されていった。19世紀前後の絵画に描かれる子供は、生き生きとして自然であり、衣装も子供らしくなってきている。男児はブラウスとジャケットにズボンの組合せやスケルトンスーツ(上下をボタンでつなぐスーツ)、女児は丈が短めのドレスにパンタルーンズ(ズボン)をはいたが、ステイズ(コルセット)を着ける習慣は続いており、シルエットはまだ大人の流行に影響されていた。また4、5歳までは男児もドレスを着て、女児と同じ服装をするのが一般的だった。
学校教育に体操が取り入れられた20世紀初頭から、女児服も動きやすいシンプルなデザインに変わり、子供に関する多方面からの研究が活発になって、いわゆる子供の時代を迎えることになる。第一次世界大戦後は、すでに既製服産業が成長していたアメリカで、子供服の分野が確立され、世界的な影響力をもつようになった。現在では素材やデザインが吟味され、成長を妨げない、動きやすく安全な子供服が設計されている。既製服産業の発達した現在は、ジーンズやTシャツの登場により、子供服は実用衣料から高級品まで多種多様化し、婦人服同様ファッショナブルな商品も増えている。学童期の子供を含むこの分野では、あくまでも安全性と耐久性を考慮した安価な商品が望まれている。
ベビー服には、肌を刺激せずしかも伸縮性のある素材が適し、着替えやすさや体の動かしやすさを考慮したデザインが望まれる。幼児や学童期は、男女差を意識し始め、好みも出てくる年齢だが、じょうぶで洗濯のきく素材を用いたベーシックな形の服が望ましく、しっかりした縫製と適切なサイズぞろえが必要である。
[辻ますみ]
子供の和服は大人用のものと類似しており、長着、羽織、ちゃんちゃんこ、半纏(はんてん)、被布(ひふ)などがある。一つ身、三つ身、四つ身など年齢、体格に応じて用いられる。一般に少し大きめにつくり、肩揚げ、腰揚げをしておき、子供の成長にしたがって、裄(ゆき)、身丈(みたけ)を加減する。揚げによってかわいらしさを表現し、着くずれのしないように付け紐(ひも)をつける。子供のすこやかな成長を祈願して、宮参りや、七五三の祝いをする風習があり、祝い着を着る。
古くは公家(くげ)服飾として、成人前の男・女児が着用した童形の童(わらわ)装束があり、近世まで用いられた。男児用には童直衣(のうし)、童狩衣(かりぎぬ)、細長(ほそなが)、童水干(すいかん)があり、皇族などの礼服には半尻(はんじり)が用いられ、武家では長絹(ちょうけん)を着た。女児用には汗衫(かざみ)、細長、衵(あこめ)などがある。子供は新陳代謝が盛んで、熱気が内にこもらぬよう、袖に振りをつけ、身八つ口をあけた。一般には小袖(こそで)形式で付け紐のあるものが用いられ、近世には日常着として、腹掛け姿がみられた。
[岡野和子]
『Phillis Cunnington & Anne BuckChildren's costume in England (1965, Adam & Charles Black, London)』▽『Elizabeth EwingHistory of Children's costume (1977, Batsford, London)』
乳児から10代半ばくらいまでの年代の子どもが着る衣服。生後18ヵ月までのベビー服,6歳までの幼児服,それ以降の男児服,女児服などがある。木綿やウールなど耐久性,伸縮性,吸汗性のある布が使われ,身体が自由に動かせ,着脱の容易な形が選ばれる。子ども服が大人の衣服と区別されるようになったのは19世紀半ば以降で,ルソーの《エミール》を契機として,子どもの生活と人権が社会的に認識されてからである。ルソーは当時の乳児の包帯状のおくるみ(スワドリングswaddling)と,大人を模倣した服装は,発育期の子どもの精神と肉体の成長を妨げると指摘し,子ども独自の服装を提唱した。それまで子どもは,大人と同様の素材,形の衣服を着用しており,たとえば女児は身体をコルセットで締めつけ,重くふくらんだスカートをはいていた。イギリス産業革命期の労働者たちの子どもは,大人の古着をそのまま着て,袖をまくり上げて工場で働いていた。ルソーの提言以降の子ども服で特徴的なものはズボン(パンタレッツ)で,5歳までの男女児は共にスカートをはき,〈下ばき〉として木綿,麻製のズボンを着けていた。5歳を過ぎると男児はズボン姿に変わり,女児はスカートを着用した。子ども服が確立してからは,オーバーオールズ,セーラー服,ジャケットとニッカーボッカーズ,ウエストを締めないワンピースなど多種多様の子ども服が作られ,子ども服専門のデザイナーやメーカーなどもあらわれた。日本では,明治の末ごろから百貨店で輸入物の子ども服や帽子が売られ始め,明治,大正,昭和にわたってセーラー服が男女児の間で流行した。通学服や運動服に洋服が取り入れられるようになったのは大正時代の末ころからである。
執筆者:池田 孝江
平安時代の貴族社会では,赤子に着せる綾などの衣服を襁褓(むつき)といい,祝いに贈る風習があった。これは今日の宮参りの祝着に関係があると思われる。童装束(わらわしようぞく)といわれる童直衣(わらわのうし),童水干(わらわすいかん),半尻(はんじり)は男児,細長(ほそなが),汗衫(かざみ)は女児の服装であった。下級庶民の子どもは下に袴も腰衣もつけず,広袖の衣を着ていたようである。小袖の時代には,体温の発散や付紐を通すのに便利な八つ口をつけた脇明(わきあき)や,袖振のある振袖を幼若年の衣服とした。子どもの着物には成長にしたがって,一つ身裁ち(約3歳まで),三つ身裁ち(3~5歳くらい),四つ身裁ち(4,5歳から10歳くらいまで)がある。これらを小裁(こだち),中裁(ちゆうだち)ともいう(着物)。それ以上は大人と同じ本裁(ほんだち)にして縫い込む。付紐を結び,肩揚(かたあげ),腰揚(こしあげ)をするのも子ども物の特徴。子どもが着物を日常着としたのは大正時代の末ころまでで,現在は七五三の祝着やゆかたに残る程度である。
執筆者:山下 悦子
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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