子思(読み)しし

日本大百科全書(ニッポニカ)「子思」の解説

子思
しし
(前483ころ―前402ころ)

中国、春秋時代の思想家、学者孔子。名は伋(きゅう)、子思は(あざな)。孔鯉(こうり)(字は伯魚)の子で、家系はいまに伝わるといわれる。伝記の詳細は明らかではないが、『子思子』『中庸』の著述があり、孟子(もうし)に学問を伝えたとされる。(そう)代以降は、孔子→顔回・曽参(そうしん)→子思→孟子という道統をたて、賢人として尊ばれた。『子思子』はもと23篇(ぺん)で、現在の『礼記(らいき)』の中、表記、坊記、緇衣(しい)の4篇はその残簡ともいう。『子思子』の首篇が中庸であったので、中庸で全篇を表したともいわれるが、朱熹(しゅき)(朱子)はとくに子思の著述として中庸篇を尊び、四書の一つに位置づけた。清(しん)代に古典中の逸文を集録して『子思子』7巻が編まれた。現在ではこれらにさらに文献的検討を加えて古代思想研究の一資料とされている。

[佐野公治 2015年12月14日]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「子思」の解説

子思
しし
Zi-si

[生]前483頃
[]前402頃
中国,春秋時代の思想家。孔子の孫で,名はきゅう。子思は字。古代から『中庸』の著者と伝えられているが,現代の者は『中庸』は秦,漢頃の成立としている。ただ,子思が精神主義的な道徳実践の教えを立てており,それが孟子の先駆となったことは考えられることである。その門弟戦国時代末期まで一学派をなし,その著述に『子思子』 23編があり,その一部が残存しているが,もちろん,子思の自著ではない。宋代にいたり,ことに朱子によって,孔子-曾子-子思-孟子と伝わった学問が儒教の正統とされた。

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精選版 日本国語大辞典「子思」の解説

しし【子思】

中国、春秋戦国時代の儒者。孔子の孫。名は伋。子思は字(あざな)地の理法を説いて、倫理の基準を示した。唐の韓愈らにより、曾子・孟子と並んで孔子の正流を伝えた人とされる。その説は、「中庸」「子思子」に見える。(前四八三頃‐前四〇二頃

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百科事典マイペディア「子思」の解説

子思【しし】

中国,戦国時代の儒者。名は【きゅう】,子思は字。孔子の孫,曾子の弟子。孔子,曾子の学を伝える。《中庸》の著者とされ,〈誠は天の道なり。これを誠にするは人の道なり〉という命題を立て,誠を天地自然法則とし,天人合一哲学を説く。

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旺文社世界史事典 三訂版「子思」の解説

子思
しし

前483ごろ〜前402ごろ
春秋時代の儒家
孔子の孫。名は伋 (きゆう) 。孔子門下の曽子 (そうし) の学問を伝え,戦国時代の孟子に受け継がれた。孔子のいうを実現する方法として,の実践に始まる道徳原理『中庸』の道を説いた。

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世界大百科事典 第2版「子思」の解説

しし【子思 Zǐ sī】

前483?‐前402?
中国,戦国時代の人。孔子の孫。名は伋。子思は字である。宋やを遊歴したのち,魯の穆公(ぼくこう)に仕えて賓師として待遇された。《子思子》33編があったというが,つとに亡失し,《礼記(らいき)》の〈中庸〉〈表記〉〈坊記〉〈緇衣(しい)〉の4編は《子思子》からの転載とされるが,すべてが子思の自作ではなく,子思学派の所産であろう。子思が有名になったのは,宋代,朱熹(子)によって《中庸》が重んぜられ,孔子―曾子―子思―孟子の道統が強調されてからである。

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世界大百科事典内の子思の言及

【中庸】より

…もともと《礼記(らいき)》のうちの一編で全文3500余字。古来,孔子の孫の子思の作とされる。本来の《中庸》は前半部のみで,後半部は《誠明書》という別の書だという説や,秦代の子思学派の《中庸説》という解説書だとする武内義雄の説,などがある。…

※「子思」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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