日本大百科全書(ニッポニカ) 「学校経営」の意味・わかりやすい解説
学校経営
がっこうけいえい
組織体として存在する学校の維持・発展を図り、学校教育本来の目的を効果的、効率的に達成させる統括作用。校長はその役割を担う主経営者である。
[吉本二郎・岡東壽隆]
意義と機能
学校は本来、教育の効果と効率を目ざして意識的に設定された教育機関である。その成立要件は、教職員や児童・生徒などの人的要件、校地・校舎・校具などの物的要件、管理費などの経済的要件、およびこれらを統合する運営上の要件などであるが、さらに学校は組織的、計画的な教育を行うことをその実質的要件とする。これらの学校成立要件を適正に組織し、運営することを通して、組織としての学校の教育目的を効果的、効率的に達成する機能が学校経営である。
学校経営を、学校という組織の統括作用であるとみる機能的なとらえ方は、組織論的な学校経営観の基礎とされる。学校は事実上も一つの社会組織であり、法制的にも相対的にではあるが、独自の意思をもって教育活動を継続的に行う機関として認められている。この事実に着目するとき、組織とその経営という基本型が明らかになるであろう。いうまでもなく、学校は効果的、効率的な教育の実施を目ざして設置された教育機関であり、もっとも基本的な意味では、優れた教育活動の展開こそがその最終の目的である。学校教育活動は多くの教師の分担活動と、多面的な学校生活の場面とにおいて行われるが、その活動が学校の教育目的に沿って展開されるように、組織活動が統括されなければならない。この中枢的な統括機能が学校経営である。
[吉本二郎・岡東壽隆]
人・物・経費・教育
学校の成立要件には人Man、物Materials、経費Money(=3M)および教育の要件があり、そのそれぞれに経営の手が及ばなければならない。これらの関係をどうとらえるかは、学校経営にあたっての重要な視点である。
もっとも基礎的な理解からすれば、さまざまな物的条件を整備充実させ、教職員や児童・生徒の編制・管理を適切に行い、それらを十二分に機能させる経済的基盤を確保し、教育目的の達成に向けて継続的に統制する活動など、学校経営の行う領域ごとにあるべき姿を解明することとして考えられる。しかし、それは個々の経営事項を説明するには適しても、全般的な経営の動態を明確にし、経営の力点を理論的に明らかならしめる点で不十分である。とくに領域ごとの解明は法令依存の解釈的理論に傾き、積極的に経営機能を通して学校教育の改善を実質的に図る発想に欠けがちである。その点で、学校経営論の主流として、1970年代以降構造機能主義の組織論が登場したものとみることができる。
学校を組織とみて、その組織の経営を学校経営と考えれば、人、物、経費、教育の間には次のような関係があるべきだといえよう。
(1)人的条件は多面的なあり方のなかから、「指導力不足の教員」等の問題を解消して、より多くの優れた貢献度を教育に向けられるように組織すること
(2)予算に裏づけられた物的条件は、それ自体で独自の存在理由をもつのではなく、人間教育の糧となって活用される状況こそがたいせつであること
(3)組織された教育が適正で、不断に改善への志向性と弾力性に富むこと
単純にいえば、物は人のために、人は組織的教育のために、という図式が経営を貫く観点として位置づけられることがたいせつなのである。
[吉本二郎・岡東壽隆]
歴史
機能論的学校経営が主流となったのは1970年代に入ってからで、この立場では、教育行政の終わるところ(時間的ではなく、論理的に)から経営は始まる、という観点にたつ。教育行政は、教育はかくあるべきだと示しはするが、いかにすればその教育が実現するかは、実際の学校経営の仕事に属しているからである。
近代的学校制度が明治初年に誕生して以来、大正の自由教育期を除いては、第二次世界大戦末まで「学校管理」とよばれる行政管理主義が支配的であった。教育の国家統制が厳しくて、自由な学校経営の余地が乏しく、法令に基づき、その解釈と運用だけを重視する学校管理にとどまった。
経営の名にふさわしい学校経営が唱道されたのは、第二次世界大戦後のことである。といっても、現在も法規主義の学校管理論も盛んであり、教育裁判の多発する現状では法規の研究も、学校経営上欠かせない領域である。ともあれ、学校経営研究は、学校の総体的な教育効果・効率を高めるため、組織論的経営論がおもに構造機能主義の立場にたった社会システム論に依拠しながら発展してきた。学校管理主義の時代には、管理上の職務権限と組織機構だけが重要視されたが、1960年代後期以降の学校経営においては、具体的な経営機能として、計画、組織、指示、調整、統制などの機能(簡潔にいえば計画plan、実施do、評価see=PDS)がいかに作用すれば、組織の適正な効果と効率を高めることができるかを中心とし、そのなかに管理を見定めようとしたのである。
[吉本二郎・岡東壽隆]
学校経営に求められる要件
学校経営はその実現の手段として、学校内部機能としての管理活動を伴う。その領域は通常、
(1)学校教育目標の設定と管理、教育計画の樹立と実施などの教育活動の計画
(2)教職員や児童・生徒の編制・管理
(3)施設・設備などの物的管理
(4)学校予算の管理
(5)学校事務などの組織運営管理
などである。これらの領域は、学校活動とその条件のすべてにわたり広範囲であるため、ともすると日常的管理活動に流れるきらいがあるが、本質的には、どうすれば組織の効果・効率を高めるかを中心として、創意的役割を果たさなければならない。
経営者の立場でとらえるならば、経営者は、組織に関する知識と組織化能力を備えていなければ、その役割を果たしえないことを自覚すべきである。また、学校経営の相対的自律性を正当に把握し、教育行政機関との組織関係、保護者・地域の教育要求と学校のあり方との関係を正しく規律する姿勢を保つべきである。
[吉本二郎・岡東壽隆]
「学校経営論」の変遷
「学校経営」をどのように理解するかについては、第二次世界大戦後に絞っても世代ごとでかなり把握の仕方が異なる。第二次世界大戦後まもなくは、文部省(現、文部科学省)自身がGHQ(連合国最高司令官総司令部)の指導などを通じて「民主的学校経営」の必要性を説いた時代であった。しかし、学校経営の実態をみると、戦後20年近くたっても教職員の仕事は「雑務」が蔓延(まんえん)し、職務を終えて帰宅するのは毎日夜の8時以降ということも珍しくなかった。
この実態に注目して学校経営に科学的管理法を援用しながら、近代的学校経営組織の構築と職務の合理化を進展させようとしたのが伊藤和衛(かずえ)(1911―1989)の「学校経営の近代化」論である。この論に宗像誠也(むなかたせいや)による痛烈な批判が展開される。ことに、学校経営組織に一般経営組織のような「経営層、管理層、作業層」という重層構造制を導入しようとした伊藤の論理に対する批判は熾烈(しれつ)をきわめ、伊藤の近代化論を民主化に逆らう反動的なものととらえ、かつ「子ども」からみた教員はみな平等であるべきだと主張した(重層・単層構造論として有名)。宗像の論理はやがて教育法学の論理構築と統合され「国民の教育権論」へと発展する。
一方、吉本二郎(1914―1990)や高野桂一(1926―2012)などによる「学校経営の現代化」論は、この論争を批判的に受けとめ、行動科学的経営学の知見をふまえながら展開された。学校経営を機能論的に理解するが、とくに重要なのは、学校経営の「民主化」と「合理化」を統合的に展開していくところに特徴がある。両者に共通しているのは、科学的管理法→人間関係論→行動科学的経営論という経営学の発展と教育の論理を結びつける論理展開にあったが、吉本は「機能」に重点を置き、高野は「権力」のあり方を問題にした。両者とも学校経営の理解において「学校教育活動の主体的・組織的行為」を中心に据えた点で評価できる。しかしながら、学校経営が教育目的・目標の達成(人格的発達を目標とした結果)を志向すべきものと理解されながらも、実際の論理展開においては、教育基本法第10条の「条件整備」に制約されたのか(この時代には教育行政と教育経営を同義に理解する傾向が強く、経営も「条件整備」や「手段」と理解する論者が多かった)、教育の論理が後退し、物的条件の整備と協働目的に貢献する自発的意思の形成に経営機能を縮小する傾向があった。また、「学校は公式的に明確に定められた教育目標をもつ社会組織」として理解され、「目的・目標」を所与のものとしている点も時代の要請であったと推量する。しかし、両者の理論は、現在においてもなお有力である。ところが後述するように、1998年(平成10)の教育行政の改革において打ち出された「学校経営の自主性・自律性」は、所与の目的・目標を達成する「手段」(means)の合理性を追求する機能的学校経営論では説明できない要素を含んでいる。
[岡東壽隆]
学校経営における自主性・自律性の要請
伝統的な機能的学校経営論に、中央教育審議会の答申「今後の地方教育行政の在り方について」(1998年9月21日)は大きなインパクトを与えた。答申は学校の自主性・自律性の確立を唱道し、教育委員会と学校の関係の見直しと学校裁量権限の拡大、校長・教頭への適材の確保と教職員の資質向上、学校経営組織の見直し、学校の事務・業務の効率化、地域住民の学校経営への参画を提言した。学校経営をめぐる学校裁量権限は拡大し、これまで管理機能であった領域すら、創意機能を発揮することが求められている。また、1999年(平成11)には校長・教頭の資格要件に関する規定が改正され、優秀な「経営的能力」をもった人材をリクルートできる基盤の拡大をみた。
このような具体的な施策は2000年(平成12)4月から漸次実施に移されたが、そこには、個々の学校に対して「特色ある学校づくり」をせよ、「特色ある学校経営」から「特色ある教育活動」を展開せよ、という期待がある。なかでも新たな教育課程である「総合的な学習の時間」は、学校自らが、もっといえば児童・生徒が学習目標を設定し、学習し、評価することが期待されている。このように、部分的ではあるが、各学校がそれぞれの目的・目標を創造しなければならないこととなった。また、学区(通学区域)の弾力的運用による学校選択制の普及によって、学校は児童・生徒や保護者から好意的にみられる魅力ある学校をつくる必要に迫られ、少子化のなかでの淘汰(とうた)という脅威がこの動向に拍車をかけている。すなわち、目標・目的が所与のもので、それを達成する効果的・効率的経営の機能性を高めるいわゆる機能の目的合理性や、手段の合理性を高める論理だけでは、学校経営を理解することができなくなっている。
また、主任制度、職員会議、企画委員会などは今後改善が求められており、学校経営は、教育活動の自己評価の実施や、保護者や地域住民への教育に関する説明責任の履行(教育情報公開)、地域の実態に応じた学校評議員制度(地域社会の関係者が校長の求めに応じて学校運営に関する意見を述べる)などの導入、職員会議の補助機関化など、多くの点でいまなお改革が進められている。教育行政機関の権限は規制緩和という方向性に沿って明確化され、保護者、地域社会と教育的に連携・協力を進める「開かれた学校経営」が展開されようとしている。学校経営は世紀を越えて「自主性・自律性」をキーワードとして変革されつつあり、そこでは、創意機能を発揮すべき名実ともに創造的な学校経営が期待されている。
[岡東壽隆]
学校経営論再構築の課題
「学校が主体的な教育活動を営むにあたって、その基本的方針や計画、それに必要な諸力を糾合する包括的体系をつくりだす創意機能が、学校経営としてとくに重視されなければならないが、経営に盛られた創意を現実化する過程、ないしは機能もまた重要である。この機能が管理機能である」(吉本二郎)。こうした定義は、学校経営における創意機能と管理機能の区別と統合の強調においては評価できるが、さらに高野桂一は吉本論をふまえて学校経営を次のように定義した。「(学校経営は)広義には、トータルな教育経営システムをふまえ、その一環として、歴史的社会的に吟味された社会的価値志向をもつ学校教育目的の達成を目ざして、人的・物的・財的・教育技術的(教育内容・方法的)諸条件を整備する単位学校の創意および実現機能のことである。そしてまた、狭義には、とくに上述の諸条件の整備を実現する『管理』行為を完全ならしめるための創意機能を意味する」。また、学校経営を、単位学校において民主化と合理化を展開するための創意および実現機能としても理解する。
しかし、こうした従来の学校経営をめぐる理論は、学校の「目的・目標」次元を所与のものとしてとらえ、学校が主体的に「目的・目標」を設定し、学校としての主体的な特色ある教育活動を生みだしていく論理に接近していない。教育の「目的・目標」次元に踏み込まない「主体的な教育活動」があり得るのか、「手段」次元に限定した「基本的方針や計画、それに必要な諸力を糾合する包括的体系」をつくりだしても「主体的な教育活動」といえるのか、「目的・目標」を一定にした手段合理化(最適化)は、「創意」というよりも「思考の停止」(=マンネリ化)を生みださないか、といった課題の解決が必要とされよう。両氏の残した緻密(ちみつ)な論理構成を継承しながらも、これらの点をふまえた学校経営の研究と実践が期待される。
[岡東壽隆]
『吉本二郎著『学校経営学』(1966・国土社)』▽『伊藤和衛・佐々木渡著『学校の経営管理――校長・教頭の新しい方向』(1974・高陵社書店)』▽『高野桂一著『学校経営現代化の方法』(1970・明治図書出版)』▽『岡東壽隆他編著『学校経営重要用語300の基礎知識』(2000・明治図書出版)』▽『岡東壽隆編著『重視される組織運営能力――自主的・自律的な学校経営』(2001・教育開発研究所)』