正徳金銀(読み)ショウトクキンギン

デジタル大辞泉 「正徳金銀」の意味・読み・例文・類語

しょうとく‐きんぎん〔シヤウトク‐〕【正徳金銀】

江戸幕府が正徳4年(1714)に発行した金貨銀貨元禄時代悪貨を是正するため作られたもので、金貨は小判一分判金、銀貨は丁銀豆板銀とがある。

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百科事典マイペディア 「正徳金銀」の意味・わかりやすい解説

正徳金銀【しょうとくきんぎん】

江戸時代,1714年(正徳4年)5月から1716年の間に鋳造・流通した貨幣元禄(げんろく)・宝永(ほうえい)期(1688年―1711年)に金銀貨の品位を低下させて通貨量の増大を図ったため,物価は上昇し,通貨に対する信用が失われた。これを是正するため新井白石(はくせき)の建言を入れ良貨政策をとり,慶長(けいちょう)金貨と同品質の小判・一分(いちぶ)金・丁(ちょう)銀・豆板(まめいた)銀を造った。享保(きょうほう)金銀にも引き継がれた。
→関連項目元文金銀宝永金銀

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「正徳金銀」の解説

正徳金銀
しょうとくきんぎん

1714年(正徳4),元禄・宝永と続いた悪貨政策を慶長幣制に戻すため,江戸幕府が新たに鋳造・発行した金銀。金貨については,それまで最も多く流通していた乾字金(けんじきん)が,慶長金に近い品位をもちながら,1両あたりの量目が半分程度だったので,品位は乾字金と同じ84.29%,量目は慶長金と同じく小判は4.76匁とした。これをのちの享保小判と区別して武蔵小判という。大判改鋳はこの期はなかった。銀貨は,それまで最も多く通用していた四ツ宝銀の品位がわずか20%だったのを,慶長銀とまったく同じ80%に戻した。江戸時代唯一の良貨復古政策であるが,通貨不足のため,旧貨との割合遣いを余儀なくされた。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「正徳金銀」の意味・わかりやすい解説

正徳金銀
しょうとくきんぎん

1714年(正徳4)新井白石(あらいはくせき)の建言により、元禄(げんろく)時代の悪貨を是正するために発行された慶長(けいちょう)金銀と同品位の貨幣。金貨は小判(武蔵(むさし)小判)と一分金(武蔵一分金)、銀貨は丁銀(四つ宝丁銀)と豆板銀がつくられた。

[編集部]

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旺文社日本史事典 三訂版 「正徳金銀」の解説

正徳金銀
しょうとくきんぎん

江戸中期の金銀貨幣
小判・一分判金・丁銀・豆板銀の4種の総称。新井白石の建議により,1714年質の劣った元禄金銀を改鋳,慶長金銀と同品位にもどした。

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世界大百科事典(旧版)内の正徳金銀の言及

【正徳・享保金銀】より

…元禄・宝永期(1688‐1711)の貨幣改鋳(元禄金銀)により,幕府は金銀貨の品位を低下させて通貨量の増大をはかったため,物価は上昇し,通貨に対する信用が失われた。7代将軍徳川家継の補佐役新井白石は1714年(正徳4)5月,改鋳益金によって華美な奢侈的生活をしていた銀座年寄の中村内蔵助らの粛清を断行し,慶長金貨と同品位の正徳小判,正徳一分金を発行,さらに同年8月には慶長銀貨と同品位の正徳丁銀,豆板銀を造った(正徳金銀)。16年(享保1)8代将軍となった吉宗は享保改革に着手した。…

【正徳の治】より

…12年家宣死後も,間部詮房と新井白石は幼将軍家継を擁して幕政推進の中心に立った。そうして家宣の遺言の権威を背景に通貨改良に努力し,14年に慶長金銀と同質の正徳金銀の発行を実現した。これには勘定吟味役に登用された萩原美雅(よしまさ)の協力と,堺の商人谷長右衛門の助言があずかって大きかった。…

※「正徳金銀」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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