平安後期から室町期にかけ,伊勢神宮の20年1度の式年遷宮の造営費として,諸国の公領・荘園から臨時に徴収した米。〈やくぶたくまい〉ともいう。もともと,伊勢遷宮の造営費は朝廷の官庫物および神宮の神郡,神田,神戸からの神税をあて,労働力は伊勢,美濃,尾張,三河,遠江5ヵ国から徴発した役夫によっていたが,11世紀中ごろからの中世的収取体系の成立以降,その費用,労働力を全国的規模で賦課,徴収する役夫工米制に変わった。役夫・工徴収を代米の形態で全国に拡大し,造営費としたと考えられ,そのおこりは1076年(承保3),78年(承暦2)の内・外宮の式年遷宮時と推定されている。勅事の臨時課役として諸国の公領・荘園に賦課されたが,大宰府管内には賦課されなかったらしい。その催徴は造宮使(神宮側の造営総括責任者)配下の催使(役夫工使などとも呼ばれ,神宮の下級神官)が諸国に散開し,各国衙官人とともに国衙作成の配符(国衙所在の土地台帳を基礎に各公領・荘園ごとの田積別賦課高が記載されたもの)によってこれに当たった。役夫工使らによる課徴は厳しく,とくに院政期には〈役夫工使滅亡諸国〉などといわれた。そのため,その免否をめぐり荘園側と国衙・役夫工使との激しい争いがみられた。鎌倉期には一部の地域で銭納もみられるようになり,南北朝期以降は銭納が一般的となる。また鎌倉末期になると,国衙機構の実質を掌握するようになった守護がその徴収に関与するようになる。さらに南北朝後期以降,それまで朝廷にあった役夫工米の課徴権および免除権が室町幕府に移るとともに,守護(使)と催使が鎌倉期以来の大田文記載田積をもとに課徴するようになる。しかし幕府権力の弱体化にともない,その課徴も困難となり,1462年(寛正3)内宮の正遷宮時を最後に,以後本格的に徴収されることはなかった。
→一国平均役
執筆者:小山田 義夫
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