神道(しんとう)教団の一つ。伊藤六郎兵衛(ろくろべえ)を教祖とする。明治初期に修行によって神秘的力を得たとされる六郎兵衛を中心として講が結成されたのが始まり。浅間(せんげん)神社宮司宍野半(ししのなかば)の勧めで1874年(明治7)富士一山講社に加入。ついで1882年に神道扶桑(ふそう)派が一派独立、扶桑教となると、その傘下教会となる。1885年には扶桑教を離脱し、神道本局の所属となり、丸山教本院と称して布教、第二次世界大戦後丸山教として独立した。山岳信仰が基盤であるが、世直し思想も加わり、関東を中心に急激に信者を増やした。しかし、1894年に六郎兵衛が死去すると、教勢はしだいに衰えた。現在はごく小さな教団となっている。本部は川崎市多摩区登戸(のぼりと)。教会数76、その他28、教師数467、信者数1万1048(『宗教年鑑』平成26年版)。
[井上順孝]
富士信仰をふまえ伊藤六郎兵衛(1829-94)が明治初期に創唱した世直し的性格をもつ宗教。伊藤は武蔵国橘樹(たちばな)郡登戸に生まれ,3度の大病が富士講の祈禱と信仰で全快したため富士信仰に熱中。1870年重病の妻サノが全快した後,六郎兵衛が神がかりをし,神の声を聞くようになった。四身の修行と七身の修行をなし,爪立行,食行,烟(けむり)行,水行をかさねて丸山講の指導者となり73年開教,〈登戸の生き神行者〉との評判をとった。淫祠邪教として警察の取締りを受けたため,74年宍野半が率いる富士一山講社(のち扶桑教)に加入して布教活動を合法化した。81-82年南関東・静岡・愛知・長野を巡教して教勢を確立,関東・東海に発展し,84年扶桑教をはなれて神道本局(のち神道大教)に所属する丸山教会となった。教義は反文明的傾向をおび,土地均分・社会平均という復古的世直しと人間本位の救済を強調,現世的幸福を主唱して松方財政下の窮乏農民の支持を得た。90年代後半より衰退し,国家主義的傾向を強めた。第2次大戦後,1946年丸山教として独立,教義として平和主義を確立した。
→富士信仰
執筆者:大濱 徹也
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
… 江戸時代には,修験道の色彩を弱め,民間信仰の富士講が中心となり,富士講の一派が不二道(ふじどう)となって,倫理観の高い教理をうち出した。明治時代になって,富士講は教派神道十三派の神道扶桑(ふそう)教,実行教,さらに丸山教の三つの教団に分かれたが,現在もなお富士登拝の習俗はつづけられている。
[富士登拝の習俗]
富士登山の伝説では,役行者(えんのぎようじや)を最初とすることから,富士山に対する修験道の影響が深いことはたしかである。…
※「丸山教」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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