富本豊前掾(読み)トミモトブゼンノジョウ

精選版 日本国語大辞典 「富本豊前掾」の意味・読み・例文・類語

とみもと‐ぶぜんのじょう【富本豊前掾】

  1. 富本節の太夫。富本節の始祖。本名福田弾司。宮古路豊後掾の門弟豊後節が弾圧されたとき、その門人常磐津文字太夫にしたがったが、寛延元年(一七四八)独立。改姓して、富本の一派を立てた。享保元~明和元年(一七一六‐六四

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「富本豊前掾」の意味・わかりやすい解説

富本豊前掾(4世)
とみもとぶぜんのじょう[よんせい]

[生]天保1(1830)
[没]1889
富本節家元。3世富本豊前掾の実子。初名豊紫太夫。嘉永5 (1852) 年4世豊前太夫,明治3 (70) 年豊前掾となった。3世の頃から新興清元節に押されて衰退一途をたどっていた富本節の再興をはかったが,不成功に終った。実子に5世豊前太夫を名のらせたが,1880年夭折したので再び6世として家元の座についた。6世の死後しばらく家元が絶えたが,骨董屋の息子榎木清久が 98年豊志太夫,1909年7世豊前太夫を継いだ。このほかに 09年富本都路 (女性) が新派家元として1世富本豊前を,その養女が2世豊前を名のった。

富本豊前掾(1世)
とみもとぶぜんのじょう[いっせい]

[生]享保1(1716)
[没]明和1(1764)
富本節の創始者。初めは宮古路品太夫。豊後節の禁止後,1世常磐津文字太夫傘下に入り,常磐津小文字太夫を名のった。寛延1 (1748) 年常磐津節から独立,富本豊志太夫と改名して富本節を創流,翌年富本豊前掾 (1世は豊前「太夫」とは名のらなかった) となった。後援者である松平宗衍 (むねのぶ) から,流派創立の記念として祝賀曲『長生』の歌詞を贈られた。のちに筑前掾となった。

富本豊前掾(2世)
とみもとぶぜんのじょう[にせい]

[生]宝暦4(1754)
[没]文政5(1822)
富本節の家元。1世富本豊前掾の実子。初名午 (うま) 之助。前名2世豊志太夫。安永6 (1777) 年2世豊前太夫を襲名。文化 14 (1817) 年豊前掾となった。三味線方の名見崎徳治らとの名コンビで数々の名曲を生むとともに,重厚味のある常磐津節とは異なる富本独自の濃艶な語り口をつくりだし,富本節の全盛を迎えた。

富本豊前掾(3世)
とみもとぶぜんのじょう[さんせい]

[生]文化2(1805)
[没]1876
富本節の家元。2世富本豊前掾の養子。幼名善太郎,のちに林之助。初名2世午之助。嘉永3 (1850) 年受領して豊前掾,同5年豊前大掾となった。のちに隠居して豊寿翁と名のった。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「富本豊前掾」の解説

富本豊前掾(初代) とみもと-ぶぜんのじょう

富本豊前太夫(とみもと-ぶぜんだゆう)(初代)

富本豊前掾(2代) とみもと-ぶぜんのじょう

富本豊前太夫(とみもと-ぶぜんだゆう)(2代)

富本豊前掾(3代) とみもと-ぶぜんのじょう

富本豊前太夫(とみもと-ぶぜんだゆう)(3代)

富本豊前掾(4代) とみもと-ぶぜんのじょう

富本豊前太夫(とみもと-ぶぜんだゆう)(4代)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の富本豊前掾の言及

【富本豊前】より

…富本節の家元。始祖は豊前太夫を名のらなかったが,その子が2世豊前太夫と称した。また7世までは豊前太夫または豊前掾,以降は単に豊前と称したので,ここではそれらを一括した。(1)初世(1716‐64∥享保1‐明和1) 富本節の始祖。本名福田弾司。宮古路豊後掾の門人で初名品太夫。宮古路小文字太夫,関東小文字太夫,常磐津小文字太夫を経て,1748年(寛延1)に富本豊志太夫と名のって独立,富本節を樹立。翌49年豊前掾藤原敬親(たかつぐ)。…

※「富本豊前掾」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

《「晋書」杜預伝から》竹が最初の一節を割るとあとは一気に割れるように、勢いが激しくてとどめがたいこと。「破竹の勢いで連戦連勝する」[類語]強い・強力・強大・無敵・最強・力強い・勝負強い・屈強・強豪・強...

破竹の勢いの用語解説を読む